A Taste of Music Vol.312019 02

Contents

◎PB’s Sound Impression
 
STUDIO Dede/Dede AIR
Mastering & Vinyl Record Cutting

構成◎山本 昇

Introduction

よく知っている音楽も、いいオーディオだと新鮮に聞こえる

  2013年にスタートしたA Taste of Musicも今回で31回目となりました。第1回でベン・シドランやジョージィ・フェイムらを取り上げて以来、これまでにたくさんのミュージシャンとその作品をご紹介してきましたし、折に触れイヴェントも開催してきました。このWebマガジンは、いつもお話しているとおり、オーディオ関連メーカーの協力により、いい音を聴きながらその音楽について語るという手法でお送りしています。その音楽を選んでいるのは僕自身ですから、毎回楽しくお話させてもらっています。

 よく知っている音楽も、高級なオーディオ機器だと新鮮に聞こえる部分が多々あります。そうした優れたオーディオを愉しむことは、例えば普段は手頃なテーブル・ワインを呑んでいる僕が、高級ワインをご馳走いただくのと同じような感じでしょうか(笑)。A Taste of Musicの取材ではいつも、そんな素晴らしい音を聴けるので、「上には上があるんだな」と毎回感心しています。タイトルの“A Taste of Music”は僕が考えたもので、音楽やワインを愉しむうえで大切なテイストというものをこれまでの連載を通じて少しはお伝えできたかなと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。お勧めするのは、僕が観たり聴いたりして納得したものばかり。主に来日予定のミュージシャンの公演を取り上げている“Coming Soon”は、実際に観てみたら「う~ん」と、予想したほどではない場合もたまにはありますが、逆に想像を遙かに超えるくらい素晴らしいライヴもたくさんありました。

 僕はラジオで、みんなが知っている曲を意図的にかけないようにしているわけではないんですが、そういう音楽はどこでもいつでも聴けますよね。それと同じことをやるよりは、ほかではかからないような音楽を皆さんにお勧めするのが自分の役割かなと思っています。このA Taste of Musicも同じ姿勢で臨んでいて、協力企業がその趣旨に賛同してくれているのはありがたいことですね。これからもいい音楽をどんどんご紹介していきますので、どうぞお付き合いください。

 さて、今回はアナログ機材にこだわった高音質で知られる「STUDIO Dede(デデ)」に来ています。Dedeには、レコーディングとマスタリングで二つのスタジオがありますが、今日は始めにレコーディング・スタジオを見学して、その後、マスタリング・スタジオに移動し、そこではアナログ・レコードのカッティング作業の実演も見せてもらえるそうで楽しみです。

 音楽制作と言えば、『ERIS(エリス)』というネットからでも読める音楽雑誌の第25号で面白いインタヴューを載せています。僕の知り合いで、イギリスのWe Want Soundsというレーベルをやっているマット・ロビンが、スティーリー・ダンのプロデューサーとして知られるギャリー・カッツに電話インタヴューした原稿を預かっていて、彼に許諾を取って僕が翻訳しました。スティーリー・ダンやドナルド・フェイゲンのアルバムで使用されたロジャー・ニコルズのサンプリング・マシンの話など、非常に興味深い内容となっていますので、よろしければぜひご覧ください。

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PB’s Sound Impression

スタジオDedeにヴィンテージ・マシンの魅力を訪ねる

「やっぱりアナログ・サウンドはライヴな感じで楽しいね」

 高音質レコーディングを追求する「Dede」は、音に敏感なミュージシャンや音楽関係者たちが注目するユニークなスタジオとして知られています。とりわけアナログ・サウンドには強いこだわりを持ち、レコーディングからミックス、マスタリング、そしてカッティングまでのプロセスをオール・アナログで行える設備と技術を誇ります。A Taste of Music Vol.31では、ピーター・バラカンさんがこのスタジオを訪問し、その様子をリポートします。

 まず、バラカンさんとACOUSTIC REVIVEの石黒謙さんらスタッフが向かったのは東京・池袋にあるレコーディング・スタジオの「STUDIO Dede」。コンパクトなNEVEコンソールやTELEFUNKENのMTR、さらに壁一面に積まれたヴィンテージ・マシンばかりのアウト・ボードに圧倒されながら、ハウス・エンジニアの松下真也さんにアナログ録音の奥深さを現代に活かすためのノウハウなどを教えていただきました。

 続いて場所を目白のマスタリング・スタジオ「Dede AIR」に移すと、そこには高性能なアナログのEQやコンプ/リミッターをはじめとするマスタリング用の機材が並ぶ別世界が広がり、部屋の一画にはアナログ・レコードのマスターであるラッカー盤を刻むためのカッティング・レイズが鎮座しています。今日はこの巨大なマシンを使った実際のカッティング作業を見学させていただくことに。音源は、あるピアノ・トリオのファンキーなライヴ音源。そして後半は、松下さんと入れ替わりに駆けつけてくれた、スタジオ・オーナーの吉川昭仁さんにマスタリングやアナログの魅力などについてさらにお話を伺いました(編)。

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高音質なアナログ・サウンドを追求するスタジオ「Dede」のレコーディング・エンジニア松下真也さんと

現代のレコーディングに活かされるアナログ・マシン

PB このコンソール・ルームは本当にたくさんのヴィンテージ機材で溢れています。アウト・ボードも含め、多くが真空管を使った機材ですよね。真空管はストックもたくさん必要でしょうが、それらはどのように選別するのですか。

松下 耳によるノイズのチェックと電流値の測定でセレクトしています。

PB バラツキはかなりあるんですか。

松下 ありますね。チューブ・テスターで測ってもあてにならない場合がありますから、実機に挿して測定するようにしています。真空管ものはメンテナンスも面倒ですが、やはり音が魅力的ですからね。

PB どのあたりが魅力ですか。

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整然とフレームに収まるマイク・プリ・アンプやコンプ/リミッターなどのヴィンテージ・エフェクター群。ラックは後ろが開いた状態で、「こうすることでヴェンチレーションのことを気にしなくてもよくなるんです。ヴィンテージのギアは奥行きが短いので、収まりもいいですね」と松下さん

松下 現代の機材にはない情報量があると思うんです。新しいものとは違うハイファイ感と言いますか……。

PB うん。それを言葉で形容するのは難しいですね。

松下 そうですね。でも、私にとってはとても魅力的なので、なんとか維持しています。

PB おっ、このレコーダーはTELEFUNKENですか。

松下 はい、TELEFUNKENのM15です。元は24chのテープ・レコーダーですが、16chのヘッドに替えて使っています。16chならS/Nがいいので、Dolbyを使わずに済むんです。

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レコーディング・スタジオ「STUDIO Dede」で稼働中のアナログ・マルチ・トラック・レコーダーはTELEFUNKEN M15

PB テープは2インチですか。

松下 はい。

PB 2インチのテープはまだ手に入りますか。

松下 現在はATR MAGNETICSというアメリカのブランドと、もう一つフランスのブランドが存在します。

PB いまアナログ録音を望むミュージシャンはけっこういますか。

松下 好きな人は強く望まれますが、Pro Toolsの便利さを覚えてしまうと……(笑)。最初はアナログで録り始めても、「やっぱりエディットしたい」ということになって途中でスイッチしたりすることもあります。DAWならパンチ・インもスピーディにできるし、オルタネイト・テイクもたくさん残せますから。

PB なるほどね。

松下 だから、このスタジオでは両者をハイブリッドで使うことも多くなりました。よくやるのは、まずテープ・レコーダーにドラムとベース、ギターなどリズム・セクションを録音して、それをPro Toolsにトランスファーしてからその他のパートをオーヴァー・ダビングするという方法です。

PB そのメリットは?

松下 細かなエディットはPro Toolsで行えることと、最初のリズム・セクションをアナログで録ることでテープによる適度なサチュレイシュョン(歪の一種)やコンプレッションがかかり、ピークが自然に丸くなった音を取り込めます。無理にデジタル・リミッティングを施さなくても、ちゃんとピークが丸くなるほか、いろんなメリットがあるんです。特にパーカッシヴな楽器はアナログで録ってからデジタルにトランスファーするほうが、両方の良さが活かされると思います。

PB なるほど。卓は案外コンパクトなんですね。

松下 これはもう、炬燵(こたつ)みたいなもので(笑)。ここに座って手を伸ばすだけでEQでもなんでも操作できるからすごく便利です。

PB ハハハハ。どこのコンソールですか。

松下 NEVEです。

PB えっ、NEVEにこんな小さな卓があるんですか。NEVEと言うと、1980年代の初めに高橋幸宏の録音で訪れたロンドンのAIR STUDIOにあった大きなコンソールという印象が強いんです。

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録音卓はコンパクトなヴィンテージ・モデルNEVE 5315 Console

松下 これ、元は放送用だったらしいです。

PB そうですか。これも古いものなのかな。

松下 1970年代の最後のほうみたいですね。まだギリギリ、昔ながらのNEVEの造りになっています。この後から、回路にICがいっぱい入るようになりました。

PB 当然、フェイダーが自動的に動くのとはほど遠いものですね。

松下 はい。ミックスするのはすごく大変で、カット(各トラックの無音部分をミュートすること)もリアルタイムでやらなければならず、指が足りなくなることも(笑)。

PB ですよね。昔は三人くらいで両手を使ったりしていました。

松下 誰かミスするともう1回やり直しになる(笑)。

PB そうそう(笑)。Pro Toolsなら、そんなことしなくて済みますものね。

松下 そうなんですけど、たまにはミックスもアナログでやりたいという方もいらっしゃるんですよ。後でご案内しますが、うちではヴァイナルのカッティングもやっていて、デジタルを一度も通さず、全行程をアナログで行うことができるんです。作業は大変ですけどね。

PB そうなんですか。それにしても、卓がこんなにコンパクトなのは意外でした。言われてみれば、確かにラジオのスタジオのサイズですね。レコーディング・スタジオの卓はものすごい幅ですものね。

松下 私もたまに他の大きなスタジオで作業しますが、端っこのフェイダーまで行くと、スピーカーがよく聞こえないんですよね(笑)。このサイズだと、全チャンネルをちゃんと聞こえる範囲で操作できるんです。

PB ここのスピーカーは何ですか。

松下 ATCのSCM150ASL Proです。海外のスタジオでよく使われているスピーカーですが、実際に聴いてみてよかったのでこれにしました。

PB そして、いま気が付いたのですが、パッチベイが全部XLRです。これも普通じゃないですよね。

松下 はい。すごく面倒ではあるのですが、普通のバンタム・パッチベイに比べて、音がよくてトラブルも少ないので、こうして使っています。うちのような小さなスタジオだからできることで、大きなスタジオではあまりに大変なので無理かもしれません。ちなみに一番上の赤いパッチベイはACOUSTIC REVIVEさんの特注品で、その裏側ではすべてのチャンネルが同じくACOUSTIC REVIVEのPC-TripleCの単線でスタジオ・フロアまで配線しています。マルチケーブルではないのでS/Nもすごくいいですし、音も全然違うので、特にヴォーカルはどの部屋でもここに直差しして使っています。

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様々な機材を結ぶパッチベイにも高音質へのこだわりが隠されている

松下 では、スタジオ・フロアのほうをご案内しましょう。

PB おー! スタインウェイのグランド・ピアノにハモンドB3も備え付けで。フェンダー・ローズもワーリッツァー(WURLITZER)も揃っていますね。すごいな。

松下 ホーナーのClavinet D9もありますよ。

PB レズリー・スピーカーは二つありますね。

松下 はい。L122とL147で2レズリーできるようになっています。

PB ヴィンテージ・マイクもたくさんありますね。

松下 そうですね。例えばこれはSTC 4038というリボン・マイクですが、ビートルズのレコーディングでも使われていたモデルで、リンゴのドラムの上にもよく吊ってありましたね。

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PB そうなんですか。あ、けっこう重たいんですね。これはドラム用に?

松下 ドラムのオーヴァー・ヘッドやトランペットにもすごくいいですよ。また、ギター・アンプに立てる人もたまにいますね。あまり近くには立てられないんですけれど。

PB このブースではヴァイブラフォンの録音の用意がされているんですね。3本のマイクの真ん中はRCAの有名なやつ(77DX)ですね。両側の2本は?

松下 ノイマンのM49のリプロダクトの中身を古い部品に入れ替えたものです。カプセルもオリジナルと同じマテリアルのものに取り替えています。

PB ここで3本立てているのはどういう理由ですか。

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松下 RCA 77DXはヴァイブラフォンとすごくマッチングがいいのですが、いまのレコーディングからすると、ちょっとオールド・スクールすぎる感じがあるんです。そこで、M49もステレオで立てることで新しいニュアンスも加えて、両方のいいとこ取りをしたいということですね。

PB 「オールド・スクールすぎる」とは、具体的に言うとどういうことですか。

松下 ちょっとハイが足りないというか……。いわゆるコンデンサー・マイクで拾った高音や低音の感じではありませんので。すごくいい音なんですけど、これだけだとちょっと寂しい(笑)。そういうときはこのようなマイク・アレンジにすると、広がりも出てくるんですね。

PB 僕がレコーディング・スタジオによく出入りしたのは1970年代ですが、ここにある機材はそのときよりさらに古いものが多いですね。すごい昔を覗き込んでいるようです(笑)。

松下 昔を知らない私にとっては逆に新しいものにも感じています。

PB なるほどね!

アナログ・テープ・レコーダーのポテンシャル

PB 再びコンソール・ルームに戻ってさらにお話を伺いましょう。このTELEFUNKENを選んだのはどんな理由からですか。

松下 当初はSTUDERのA80も持っていまして、TELEFUNKEN M15と両方とも使えるようにしていました。A80は、よく言えばテープっぽいのですが、ちょっとナロー・レンジなところがあります。音がミッドに乗るイメージです。太い音だけど、重心はそれほど低くない感じがしました。その点、M15はとても豊かな音で、低音も深いところまで聞こえるし、高域のニュアンスもたくさん入る。スタジオの特色を出すためにも、どちらかを選ぶことになり、ここのオーナー(吉川昭仁さん)とも聴き比べてTELEFUNKENを残すことにしました。

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PB そうでしたか。

松下 ちょっと細かい話になりますが、M15はアンプのマージンに余裕があるんですよ。STUDERはA80のMkⅣだったのですが、それほどアンプに余力がなかったのでクリッピングしてしまうんです。つまり、テープの前にアンプがサチュレイションを起こしてしまう。M15だと、テープのサチュレイションが起こるまで入力することができるので、そういうテープらしい使い方がしやすかったというのもあります。

PB それぞれのメーカーの特性がはっきり出ていたんですね。

松下 はい。どっちにもいいところがあるんです。A80がすごく好きだというエンジニアさんもいらっしゃいましたしね。

PB それはもう好みの問題なのでしょうね。

松下 はい。私たちはたまたまTELEFUNKENのほうが好きだったというわけです。

PB TELEFUNKENも見たことはあるけれど、どちらかというとSTUDERを入れているスタジオのほうが多いですよね。

松下 そうですね。メカ部分の設計はSTUDERのほうが優秀だと思います。例えば、M15はキャプスタンがベルト・ドライヴなんですよ。小さなモーターで回しています。レコード・プレーヤーで言うと、リンやトーレンスのような感じですね。トルク・リップル(トルクの変動量)は少ないんですが、ダイレクト・ドライヴのようにすぐに速度を変えることができません。ですから、他の機材とシンクロさせるのにすごく苦労したらしいんですね。なかなかチェイスしてくれなくて(笑)。そんなこともあって、多くのスタジオではSTUDERが広まったようですね。

PB あー、なるほど。それにしても、このレコーダーもメンテナンスは大変そうですね。

松下 輸入代理店のサービスの方にいろいろ教えていただいて、最近では自分でもある程度できるようになりました。そうでないと、急に調子が悪くなったときに対処できませんからね。

PB でも、オリジナルの部品はもう手に入らないわけですよね。

松下 手に入らないものも多いですね。TELEFUNKENのレコーダー部門を買い取った会社がドイツにあって、そこから取り寄せられるものもあるんですけど。それ以外のコンデンサーなどは、オリジナルにこだわらず、日本製のものでも実際に自分で聴いて悪くなければ使うようにしています。そのほうが安心できますしね。

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PB とにかく耳で聴いて、納得すれば採用するということなのですね。

松下 はい。自分で納得できなければ使うことはできませんから。

PB 苦労の多い作業ですね。

松下 古いクルマのメンテナンスと同じかもしれません。

PB そうか。クルマも新しいものになると逆に何もいじれなくなりますからね。そう考えると、アナログの音が好きな人にとっては、最新のスタジオ機材はつまらない世界になってしまっているのかな。

松下 デジタル機器の中身はサーフェス・マウントばかりなので、触れるのはせいぜい電源周りくらいですかね。例えばこれは、コンバーターの電源をスイッチング電源からアナログ電源に変えるためのものなんです。

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中央はACOUSTIC REVIVEの石黒謙さん

PB うーん、僕にはほとんど謎の物体ですけど(笑)。ところで、このTELEFUNKENのアナログ・マルチは、高いほうは何kHzくらいまで録音できるのですか。

松下 16トラックだと、20kHzあたりまでは入ります。それ以上は正確には測っていませんが、20kHzまであるMRL(Magnetic Reference Laboratory)のテスト・テープを見る限り、状態のいいトラックはそれをちゃんと録音しています。また、通常のテープ・レコーダーのHighの調整は1箇所だけなんですが、このTELEFUNKENにはHighとVery Highの2ポイントで調整でき、ヘッドの状態によってHighが落ちてきても上を足すことが可能ですので、本当にびっくりするくらいきれいに伸びます。

PB そうなんですか。

松下 しかも、それだけHighがきれいに伸びるのにLowも豊かで重心が低いので、サウンドが薄くならず、とてもいい音がします。

PB アナログ・テープには想像以上にいろんな情報が入っているものなのですね。そんなアナログ・テープを再生するときに心掛けていることはありますか。

松下 気にする人は少ないのですが、例えば昔の名盤をカッティングする際、再生用のプレイバック・マシンに何を選ぶかはとても大事だと思います。そこを間違うと、どんなにいいマスタリングをしても音が甦らないんですよ。STUDERで録ったものはSTUDERで再生して間違いないと思いますが、AMPEXや真空管時代のSTUDERで録音したものは、電気的な特性に問題がなくても、それに本当にマッチしたプレイバック用のアンプで再生しないと、ある部分が失われ、空気みたいなものが無くなってしまうんですね。古いマスターを何種類かのテープ・レコーダーで聴き比べたときに、特性はどれも同じなのに、何でこんなに音が違うのか、不思議だったんです。

PB 以前、ロンドンにあるGearbox Recordsの小さなスタジオを見学させてもらったときにも、こうしたヴィンテージの機材が置いてありました。昔のデッカのスタジオにあったものだそうです。

石黒 そういうヴィンテージの録音機材はオーディオと同じで、贅を尽くして作られています。いまのスタジオでは、それを模した復刻ものも使われていますが、中身は当時のものに比べてコストを抑えていたりして、昔の音というのはなかなか出ないんですね。

PB 基本的な姿勢の問題ですよね。極力コストを抑えるというのがいまの時代の企業の考え方だから。昔はいまほど市場も大きくなかったと思うけど、とにかくいいものを作るという姿勢だったのでしょう。

石黒 技術革新のマインドに溢れていて、どんどん良くしていこうという向上心があったのだと思います。本当は現代の技術をもって最高のものを作れば、過去を超えられるはずなんですけどね。企業の体制としてそれが許されなくなってしまっているのが最大の問題でしょう。

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グレーの大きな機材(中央下)はGATESというアメリカのメーカーのリミッター/コンプレッサーのSA38。「1950年代にカッティングや放送用に使用されていたものらしいです。レコーディング・スタジオでこれを入れているところは少ないですが、すごく質の高い音がします」(松下さん)

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スタジオ・フロアで使用されている電源ボックスはACOUSTIC REVIVEのRTP absolute。演奏中に抜けたりしないよう、筐体から直にケーブルが出ている特別仕様となっている。「ノイズにも強いので、かなり重宝しています」と松下さん

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モニター・スピーカーは最近入れ替えたというATC SCM150ASL Pro

ラッカー盤のカッティング作業を見学!

PB さて、今度はマスタリング・スタジオの「Dede AIR」にやってきました。ここではデジタル音源とアナログ・テープのどちらからでもカッティングできるそうですね。どんな違いがありますか。

松下 テープを通すと、もちろんいい場合もありますが、失う部分もあるんですよ。

PB 失う部分とは?

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カッティング・レイズと言えば日本ではNEUMANN(ノイマン)製がよく知られているが、このモデルはScully(スカリー)製のマシンをベースにWESTERN ELECTRICが改造を施したRA-1389。「時計にはスカリーのロゴが入ってますね」(バラカンさん)

松下 良くも悪くもサチュレイションがかかります。それと、デジタル特有のレンジ感や開放感はやはり薄らぐんですね。最終的にアナログ・レコードになるにしても、デジタルで録ったものにはアナログ・テープとは違うアキュレートさがありますから。そのあたりは、好みやケースに応じて選べるようにしたいなと思っているんです。

PB 先ほどのレコーディング機材のメンテナンスといい、カッティング・レイズの制御法といい、何でもご自身で行っているんですね。

松下 何でも自分で作れば、壊れたときも自分で直せますからね。インディペンデントのスタジオは誰も助けてくれません。何でも自分で完結できるようにしておいたほうがいいと思っています。あと、人や会社に頼むとお金もかかりますしね(笑)。

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PB イコライジングも丁寧にやっていましたね。このEQのいちばん上の“db/OCTAVE”とは?

松下 幅を調節するツマミですね。どれくらい広くいじるかを決めるもので、右に回すと狭くなっていきます。では、テスト・カッティングをカートリッジで拾った音と、元のデータの音を切り替えてモニターしてみましょう。

PB おー、カッティングされたほうは、ライヴ音源がよりライヴっぽくなった感じでいいですねぇ。不思議だなぁ。まさにアナログ・マジックだね。やはり針の振動とかが関係するのかな?

石黒 直接擦っているというところに何かがあるんじゃないでしょうか(笑)。カッティングした後の音は生気があるというか、そんな変化が起こっているように思います。音に生命力が宿っているようです。

PB ああ、その言い方はいいですね。

石黒 あと、いい意味でコンプレッションがかかっていました。

PB うん。そして若干、立体感が増したような気もしました。

石黒 音像の肉付きが良くなるから、実態感や実在感が増してくるんですよね。そこはやはりアナログ・マジックと言うしかないんですよね。

PB 松下さん、今日はお世話になりました。とても面白かったです。

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マスタリング・スタジオ「Dede AIR」で、楽曲を聴きながらラッカー盤として最適な音質補正を進めていく松下さん。今回の作業で使用した主なマスタリング機材はPRISM SOUND MEA-2(EQ)やELYSIA Alpha Compressor(コンプ)など

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備え付けの顕微鏡で「音溝」を確認する松下さん

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「テスト・カッティングで聴き比べさせてもらった感じだと、やはりライヴ感が増しますね。なんか、すぐそこで演奏しているような雰囲気で。とにかくいい音でした」とバラカンさん

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現在はマニュアル操作だが、コンピューター制御のための準備も進められ、それが実現すればより細かな調整も可能となるという。「例えばオートマチック・バリ・デプスを使えば、音楽ジャンルに合わせて、よりラウドにカットすることもできるようになります」(松下さん)