3月にマーヴィン・ゲイの未発表作品集『You're The Man』が発売されました。今回はこのソウル・シンガーについてお話ししましょう。僕が彼の歌を聴き始めたきっかけは1964年にローリング・ストーンズのデビュー・アルバム『The Rolling Stones』に収録された「Can I Get A Witness」を耳にしたことです。そのときはまだ、マーヴィン・ゲイという名前は知らなかったはずですが、これが間接的な出会いではあったかと思います。ちょうどその頃、ロンドンではモータウンが急速に注目されるようになってきていました。最初にイギリスのヒット・チャートに載ったのはメアリー・ウェルズの「Two Lovers」や「My Guy」あたりだったかな。また、マーサ&ヴァンデラズの「Nowhere To Run」や「Dancing In The Street」などもラジオでよくかかっていました。それはちょうど海賊ラジオが始まった時期と重なり、ソウル・ミュージックがイギリスでも火が付いたのはそのおかげと言っていいでしょう。スープリームズも1964年に「Where Did Our Love Go(愛はどこへ行ったの)」や「Baby Love」がヒットしています。フォー・トップスの「I Can't Help Myself」は1965年ですが、もうその頃には次々にモータウンのヒット曲が押し寄せてきました。ちなみに、それらタムラ・モータウン(Tamla Motown)の多くは、イギリスでは64年までステイツサイド(Stateside Records)というレーベルから発売されていました。
もちろん、アメリカではそれ以前に、例えばマーヴェレッツの「Please Mr. Postman」やミラクルズの「Shop Around」などモータウンのヒット曲はいくつもありました。そんな時代に、多くのイギリス人はマーヴェレッツもミラクルズもビートルズがカヴァーしたことで初めて知るわけで、オリジナルはまだ聴いたことがありませんでした。僕がマーヴィン・ゲイの歌を最初に聴いたのは「Hitch Hike」や「I'll Be Doggone」、「Ain't That Peculiar」といった曲だったと思います。そして、イギリスで最初に大ヒットしたマーヴィンの曲はキム・ウェストンとのデュエット「It Takes Two」で、初のNo.1は「I Heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)」。そんな1962年から68年くらいのシングル・ヒットは、ラジオでもよくかかっていました。いま聴いて面白いのは、例えばこの1963年のヒット曲「Pride And Joy」あたりに注目してみると、初期のモータウンには意外にゴスペルっぽいところがあって、ピアノはちょっとジャズ寄りでもあったりするところでしょう。
マーヴィンは、本当はバラード歌手になりたかったそうで、ナット・キング・コールのようなことをやりたかったんですね。でも、若くてルックスも良かったから、バラード歌手ではなく、もっとポップな歌手として育てたかったようです。ほかのアーティストのツアーに帯同するほどドラムズも上手く叩けたので、最初は“歌えるドラマー”として売り出されそうになったとか(笑)。まぁしかし、ソロ・シンガーとしてデビューし、アメリカで最初のヒット曲となったのが「Stubborn Kind Of Fellow」ですね。ちなみに、この曲を収録したセカンド・アルバム『That Stubborn Kinda Fellow』には「Wherever I Lay My Hat(That's My Home)」という曲も入っていますが、イギリスではポール・ヤングがこの曲を1983年にカヴァーして大ヒットさせています。そんなに大した曲ではないんですけれど(笑)。
このように1960年代にはいくつかのヒット曲にも恵まれました。この頃のソウル・ミュージックはアルバムではなく、あくまでもシングルの時代です。マーヴィン・ゲイのヒット曲を手がけたプロデューサーは何人かいますが、その中の一人がノーマン・ウィットフィールドで、彼はマーヴィンの「I Heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)」を手がけたことで知られています。この曲は始めからマーヴィンのために作ったものでしたが、モータウンの制作会議で社長のベリー・ゴーディーに却下され、マーヴィンには別のプロデューサーが用意した曲にOKが出ました。モータウンでは、このように同じアーティストに別々のソングライターとプロデューサーをチームで競わせるということがよく行われました。ノーマン・ウィットフィールドとしてはその決定には不満ながらも、差し当たって女性シンガーのグラディス・ナイトの歌として発売するのですが、これが大ヒットとなります。それでも、ノーマンはマーヴィンに歌わせたくて、また、マーヴィンもこの曲が気に入っていたので、しばらくしてからノーマンはもう一度マーヴィンで出そうとするわけです。すでにグラディス・ナイトで大ヒットしているのにどうしてそんなことをするのかと、社長はOKしなかったのですが、ノーマンとマーヴィンは引き下がりませんでした。そのようして、ようやくマーヴィン・ゲイのヴァージョンの「I Heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)」が世に出ると、グラディスを上回るヒットを記録します。しかも世界的な大ヒットにつながり、マーヴィン・ゲイの代表曲の一つとなりました。
先ほどの「It Takes Two」のように、マーヴィンはルックスが良くてロマンティックな雰囲気があったので、モータウンではいろんな女性シンガーとデュエットしています。最初はメアリー・ウェルズ、次がキム・ウェストン、そして、いちばんのヒットとなったのがタミー・テレルです。タミー・テレルは若くて可愛くて、マーヴィンとは恋人同士という感じの雰囲気でした。実際にそうだったかどうかは分かりませんが、1967年の「Ain't No Mountain High Enough」、「Your Precious Love」はとにかく大ヒットしました。これをいまハイレゾのストリーミングで聴いてみると、先ほどの1965年頃の曲と比べて、ベイスがよく聞こえるようになっていることに気付きます。ヴォリュームを上げなくても、ベイスがちゃんと主張しているのが分かる。モータウンにはジェイムズ・ジェイマスンという大天才ベイシストがいるから、彼の音が聞こえないと欲求不満になります(笑)。
1970年代初頭と言うと、ソウル・ミュージックにはまだ娯楽というイメージが強くて、何度も言うようですが、シングルで聴くのが基本でした。ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)以降、ロック・ミュージックではアルバムで聴かれるように変わってきているのに、ソウルはその変化が遅かったんです。理由は、一つはリスナーであるアフリカン・アメリカンの経済状況が白人に比べてまだ良くないこともあったでしょう。そしてもう一つは、音楽の評価をしていたのは白人の批評家やライターが圧倒的に多かったということです。ブラック・ミュージックに対する白人の批評家の視点は、いまのものとは違っていました。変わってきたのは、僕らの世代くらいからでしょう。『What's Going On』が出た当時、批評家として地位があったのはもっと前の世代の人たちでした。だから、この現在進行形のソウル・ミュージックを批評できる立場の人というのはおそらくほとんどいなかったんだと思います。
僕自身は、この『What's Going On』が出た頃、実はソウル・ミュージックからちょっと離れていました。もちろん、1960年代の半ばから海賊ラジオで毎日のようにかかっていたモータウンやスタックス、アトランティックのソウルのシングル曲は大好きでした。1966年くらいからはブルーズを聴くようになったり、1967年頃にはサイケデリック・ロックの時代になったり、音楽の視野が広くなっていきます。そんな中、シングルとしての「What's Going On」は聴いていたけど、アルバムをすぐには買いませんでした。でも、1974年に日本に来る前には持っていたから、発売から少し遅れて1973年頃に買ったんだと思います。そのきっかけとなったのが『What's Going On』のあとに出た『Let's Get It On』(1973年)でした。マーヴィンは『What's Going On』のすぐあとに『Trouble Man(野獣戦争)』という映画のサウンドトラックを1972年に出して、翌年に『Let's Get It On』を発表します。
1973年の夏休み、友達数人とギリシアを旅行していたんですが、僕はそのときに失恋するようなことがあって、傷心を癒すこともできず、一人でロンドンに帰ってしまったんです。それで、仲が良かった音楽好きの友達の家に遊びに行ったら誰もいなかったんだけど、玄関の鍵は開いていた(笑)。勝手に上がり込んで友達の部屋に入ってみたら、ターンテーブルには出たばかりの『Let's Get It On』の輸入盤が乗っていました。「へぇー、こんなレコードが出ていたのか」と、聴いてみたら……。音楽としても素晴らしいんだけど、そのときの僕の心境にあまりにもピタッとマッチしていて、もう大衝撃で。当時、僕は大学を卒業して、とりあえずレコード店で働いていたのですが、早速のこの『Let's Get It On』とスティーヴィー・ワンダーの『Innervisions』を買い、それで最初の給料(週給)はほとんどなくなってしまいました(笑)。それはともかく、アルバムとしてのマーヴィンの作品の素晴らしさに目覚めたのはそのときでした。そこで『What's Going On』も遡って聴いて、最終的にはもしかしたら『Let's Get It On』以上に好きになったかもしれません。
そんなふうにして、僕はまたマーヴィン・ゲイの大ファンになってしまい、その後のアルバムも聴いてはきましたが、結局のところいちばんハマったのは『What's Going On』と『Let's Get It On』、そして1976年の『I Want You』です。これもコンセプト・アルバムのような作りで、流れるように聴ける作品です。1976年はすでにディスコの時代で、『I Want You』ではそこまでの影響はありませんが、一定のリズムが気持ちよくてずっと聴けるような感じになっています。
マーヴィンのアルバム作りには面白いところがあります。『What's Going On』は元々は他人が作った曲を自分でリメイクしました。『Let's Get It On』も、全部ではないけれど、最初はエド・タウンゼンドというソングライターが作ったものを、彼を共同プロデューサーに迎えつつ、やはりマーヴィン自身が一部作り替えて洗練度を高めて自分のサウンドにしています。聞くところによると、「Let's Get It On」も最初は恋の歌ではなく、「What's Going On」のような社会的なテーマを持った曲に仕上がる予定だったそうです。この頃、マーヴィンはまだ10代のジャニス・ハンターという若い女性に出会って一目惚れ。彼女への恋心を燃やすかのようにして作った『Let's Get It On』からは、そうした気持ちがビンビンと伝わってきます。『I Want You』でも彼女への想いが綴られていて、タイトルも示すような非常にロマンティックなアルバムです。これは、当時モータウンに所属していたシンガー・ソングライター、リオン・ウェアのソロ・アルバムとして作られたものをベリー・ゴーディーがマーヴィンに歌わせたいと、半ば強引に取り上げてマーヴィンの作品にしてしまったものですが、リオン・ウェアはこのアルバムのプロデューサーとしてクレジットされています。これもマーヴィンの傑作アルバムと言っていいでしょう。
1978年の『Here, My Dear』は、邦題が『離婚伝説』というもので、アナ・ゴーディーとの離婚騒動の一部始終を表しています。発売当時、テーマに魅力を感じず僕はあまり聴いていませんでしたが、最近になって、このアルバムに対する世間の評価もだんだん高くなってきているようですね。その後、マーヴィンは少し低迷します。1981年にはモータウンでの最後のアルバムとして『In Our Lifetime』を出しますが、はっきり言って面白くありません。モータウンを離れたマーヴィンは、精神的に不安定になったりして、ドラッグに溺れるようになります。そんな彼はアメリカを離れ、知人のいるベルギーで過ごします。そこで出会ったのがマーヴィンの自伝の共作者であるデイヴィッド・リッツで、彼をコー・プロデューサーとして、実質的な最後のスタジオ・アルバムとなる『Midnight Love』を作り上げます。すると、収録曲の「Sexual Healing」が久々の大ヒットとなります。気分良く、アメリカに帰ってきたマーヴィンでしたが、なんとお父さんとの口論が発展して銃で撃たれて亡くなってしまいます。それは1984年の4月のことで、マーヴィンの45歳の誕生日の前日でした。まだ生きていれば今年で80歳になっていました。
マーヴィン・ゲイというと、社会派のアーティストというイメージも一部にはあるかもしれませんが、そればかりというわけではありません。『What's Going On』を作ったのはヴェトナム戦争の最中だったし、彼の弟も出兵していたから、その様子は直に伝わっています。そもそも、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争と、多くの黒人が軍隊に入って国のために戦っているんだけど、そのわりに社会的地位が良くならない。そこに対する不満もあったところに、ヴェトナム戦争ではまた相当な数の黒人たちが戦場に送り込まれました。マーヴィンだけでなく、かなり多くの人たちがそういう気持ちを持っていたはずです。そして、そういう背景を反映させた作品がレコード会社の社長にダメ出しされても、それを受け入れるマーヴィンではありません。そこは頑固な人だったようです。人の言うとおりにはしたくない−−−それは子供のときからそうだったらしいです。そんな性格が、作品作りに功を奏したところもあったのではないかと思います。つまり、社会的な意識が特に高かったというわけではなく、『What's Going On』にしても、フォー・トップスでは出さないことになったものを聞きつけて興味を持って、自分なりの編曲を施して作品化しています。いま思えば、そのときの社会の空気を上手く掴むことに成功したレコードだったと思います。『Let's Get It On』も『I Want You』も、人が作ったものを上手に工夫して自分のものにする才能が発揮されたということでしょう。彼のもとに届いたものを「あ、これはいいね」と認められるセンスと、それを基にアルバムとして仕上げる才能に恵まれたミュージシャンだったのではないかと、そんな気がします。
シンガーとしてのマーヴィン・ゲイはとにかく声が良くて、それも心に届く声なんです。わりとくだらないことを歌っていても、なぜか好きになってしまう(笑)。『Let's Get It On』は本当に傑作アルバムだと思います。「If I Should Die Tonight」なんか、もうヤバイ。男なのにものすごい色っぽさを感じてしまうんです。このアルバムも参加ミュージシャンがいいんです。ベイスはジェイムズ・ジェイマスンとウィルトン・フェルダーだし、パーカションやドラムズにはボビー・ホール・ポーターやエディ・“ボンゴ”・ブラウン、ポール・ハンフリー、ユリエル・ジョーンズが入っていて、ギターにはデイヴィッド・T・ウォーカーやワー・ワー・ワツンとして知られるメルヴィン・レイギンなど一流どころをたくさん起用しています。サックスのアーニー・ウォッツとプラズ・ジョンスンもいますね。みんな上手な人ばかりです。また、指揮者のレネ・ホールはかつてサム・クックのレコードでも編曲を担当していたヴェテランです。
『What's Going On』ユニバーサルミュージック UICY-15061
『Let's Get It On』ユニバーサルミュージック UICY-15062
Recommended Album
いまあらためて聴く、1972年の未発表作品
Marvin Gaye『You’re The Man』
『What's Going On』の翌年、マーヴィンは同じような主張のレコードを出そうとしていました。そのアルバムのタイトル曲は「You’re The Man」。僕は当時、シングルで発売されたこの曲を知りませんでした。長い曲なので、パート1(A面)とパート2(B面)に分けて収録されていましたが、その売上が振るわなかったため、アルバムとしての発売は頓挫してしまいました。それが今年になって、正式に発売されることになりました。アルバム『You’re The Man』のクレジットを細かく見てみると、複数のプロデューサーが関わっていて、全17曲中、アルバムとして作られたのは10曲くらいでしょうか。
まず、「You’re The Man」は、「What's Going On」以上にあからさまに政治的な曲です。「私はあなたに投票します」という、選挙のキャンペーン・ソングのようなもので、売上が芳しくなかったのはそのためではないかと思われます。『What's Going On』は、政治的と言うよりも社会的な意識が強いレコードで、戦争や子供、環境の問題などいろんなことをモチーフにして、多くの人が関心を持てる作品でした。ところが、『You’re The Man』のように政治色があからさまだと、その主張には当然賛否が分かれるわけで……、チャートが伸びなかったのも仕方ないかな。それはどの時代でも同じことだと思います。結局、モータウン側からも支持されることはなく、マーヴィンもこのアルバムに関してはあきらめの気持ちがあったのかもしれません。気を取り直して、サウンドトラック『Trouble Man』の制作に力を注いだのではないでしょうか。また、そうこうしているうちに『Let's Get It On』の話が舞い込んでくるわけです。
ただ、あらためて『You’re The Man』を聴くと、アーティストとしてマーヴィンのいちばんいい時期で、音楽的にはすごくいいんです。「You’re The Man」の参加ミュージシャンを見ても、ギターにレイ・パーカー・ジュニアやメルヴィン・レイギンがいて、ベイスは当時まだ10代のマイケル・ヘンダスンです。彼はスティーヴィー・ワンダーのツアー・バンドにいた若者で、その後、マイルズ・デイヴィスのエレクトリック・バンドに引き抜かれて、超ファンキーなベイスを披露していました。
このアルバムのクレジットからはモータウン・レコードの動きも見て取れます。1曲目の「You’re The Man」は1972年の3月〜4月に、デトロイトのモータウン・スタジオで録音していますが、その頃、モータウンはL.A.への移転を進めていました。ベリー・ゴーディーには映画やサントラも作りたいという野望があったんですね。でも、マーヴィン・ゲイは人の言うことを聞かない人だから、モータウンがL.A.に移ることになっても最初はデトロイトに残っていたんです。だから、「What's Going On」にはデトロイト・ミックスとL.A.ミックスという二つのミックスが存在して、初出はL.A.ミックスで、後のデラックス・エディションのボーナス・トラックにデトロイト・ミックスも発表されています。2曲目の「The World Is Rated X」もいい曲ですが、これは8月以降にL.A.で録音されています。半年くらいの間に、マーヴィンもしぶしぶL.A.に移ってきているんですね。
3曲目の「Piece Of Clay」の作曲者はグロリア・ジョーンズとパメラ・ソイヤーという二人の女性です。曲のプロデューサーも彼女たちです。たぶん、マーヴィンのために書き下ろした曲だと思います。パム・ソイヤーは、モータウンで活動していたソングライターです。歌手でもあったグロリア・ジョーンズは、マーク・ボーランのパートナーとしても知られています。マーク・ボーランが亡くなった自動車事故ではグロリア・ジョーンズも大怪我を負いました。1981年にソフト・セルというイギリスのグループが「Tainted Love」を大ヒットさせましたが、この曲のオリジナルを歌っていたのがグロリア・ジョーンズです。
この『You’re The Man』はまったくの未発表というわけではなく、他のアルバムのデラックス・エディションやコンピレイション盤に収録されていたものですが、今回ようやくまとまって発表されることになりました。やはり同じ時期に録音されたものだから、一つのアルバムとして聴くとしっくりくる感じがあります。ボーナス・トラックだとちょっと散漫に聞こえてしまうところがありますからね。そういう意味で、この新しいアルバムを聴いているといいなと思える曲がいくつかありました。僕は特にこの「Piece Of Clay」はとてもいい曲だと感じました。
次の「Where Are We Going?」はフレディ・ペレルとアルフォンゾ・“フォンズ”・マイゼルがプロデューサーで、ラリー・マイゼルとラリー・ゴードンの作曲です。このあたりの人は、ジャクソン5がデビューしたときに、ザ・コーポレイションと名乗っていた作曲チームとも重なっています。そして、このマイゼル兄弟のラリーは、ジャズのトランペット奏者ドナルド・バードの『Black Byrd』(1973年)というブルー・ノートのアルバムを手がけて大ヒットを飛ばします。A面の1曲目、飛行機の音で始まる「Flight Time」を聴いてみましょう。僕がロンドンのレコード店で働いているときに、たまたま店内でこの曲がかかっていて、思わず「格好いい! この曲は何?」って言ったのを覚えています。実際にこのレコードはよく売れていましたね。それまでのドナルド・ハードを知っている本筋のジャズ・ファンからは「これは裏切り行為だ」という声も上がってはいましたが、歴代のブルー・ノート作品の中でも断トツのヒットを記録しました。5曲目「I'm Gonna Give You Respect」から8曲目「We Can Make It Baby」まではウィリー・ハッチが作曲・プロデュースした曲が続きます。ウィリー・ハッチもモータウンでソロ・アルバムを出しているし、映画音楽も手がけています。大ヒット曲はないものの、職人的なミュージシャンとして高い評価を得ています。このあたりの曲は悪くないけど、傑作とまでは言い難いです。これまで正式に出ていなかったのも無理はない感じはします。
『You’re The Man』にはマーヴィンが自分で書いてプロデュースした曲があったり、クリスマス・ソングも2曲入っています。「I Want To Come Home For Christmas」は、当初はシングルとして予定されていたのがキャンセルになったようですが、おそらくヴェトナムの戦場に赴いている兵士たちの気持ちを歌ったものだろうと思います。
そしてもう一つの注目は、「My Last Chance」「Symphony」「I'd Give My Life For You」という主にマーヴィンが作った3曲でサラーム・レミがミックスを担当していることです。マイアミで活動するサラームはヒップホップ時代のプロデューサーで、エイミー・ワインハウスの「Rehab」が入っているアルバム『Back To Black』(2006年)の半分くらいは彼がプロデュースしています。「My Last Chance」あたりはどこかヒップホップふうの音作りになっていますね。
7月に東京・丸の内のライヴ・レストラン「COTTON CLUB」で日本公演を行うマーカス・ストリックランドはロバート・グラスパーらと同じ世代のアメリカのサックス奏者です。2016年にはMarcus Strickland's Twi-Lifeというユニット名義で、ブルー・ノートから『Nihil Novi』というアルバムを、ミシェル・ンデゲオチェロをプロデューサーに迎えて発表しました。そして2018年の11月に、同じ名義でブルー・ノートから2枚目となる最新作『People Of The Sun』を出しました。