ブラック・ミュージックの歴史を綴った『リズムがみえる』(原題:i see the rhythm)はアメリカで1998年に出版された絵本ですが、金原瑞人さんの翻訳で、サウザンブックス(Thousands of Books)という世界の本をクラウド・ファウンディングで翻訳出版している会社から10月に発売されることになりました。アフリカから始まって、ブルーズやジャズ、ラグタイム、スウィング、クール・ジャズ、ゴスペル、リズム&ブルーズ、ソウルなどの話が詩のような感じで語られています。細かい注釈もタイム・ラインのように付いています。とても綺麗な本で、親が子供と一緒に音楽を聴きながら読むといいかなと思える本ですので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。
アリーサの黄金時代はというと、1960年代後半から70年代の半ばまで、だいたい10年くらいのもので、その後にもヒット曲はあるのですが、そんな彼女のいちばんの功績と言えば、「ゴスペルのフィーリングをソウル・ミュージックに誰よりも色濃く持ち込んだ人」ということに尽きるのではないでしょうか。1967年の春に、アトランティック・レコードと契約して最初に出した「I Never Loved a Man(The Way I Love You)」。僕を含めて、圧倒的に多くの人がこのシングルで彼女の歌を初めて聴きました。もう50年以上も前の話だから、いまでは想像しにくいかもしれませんけれど、あのような歌い方を、まだ誰も体験したことがありませんでした。当時はモータウンのこともソウルだと思っていたし、南部のソウルとしては、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、サム&デイヴといった人たちもいました。それよりも強烈なものがアリーサの歌にはあったし、耳にした人は誰もがものすごい衝撃を受けたと思います。そして、「I Never Loved a Man(The Way I Love You)」の2ヵ月後に出たシングルが「Respect」でした。これは、世界が全部ひっくり返ったような(笑)、そんな感じの出来事だったのです。
デビュー時から持っていたゴスペルの雰囲気
アリーサはアトランティックに移籍する前、1961年からの5年間はコロムビア・レコードに所属していて、けっこうな数のアルバムを出していますが、多くの人はそれをほとんど知らずに、アトランティックの最初のシングルでいきなり大スターになってしまったというのはいまでも不思議な話です。僕も、特にコロムビア時代のレコードを遡って聴こうとはしませんでした。CDの時代になって、ようやく聴くようになったんですけど、今回、ラジオでも大特集を組むために、それらをもう一度聴き直したら、コロムビアの頃のレコードもとてもいいです。例えば、「Today I Sing The Blues」は彼女が18歳のときの歌です。また、1963年のアルバム『Laughing On The Outside』に収録されている「Skylark」はジョニー・マーサーが作詞してホーギー・カーマイケルが作曲したスタンダードですが、これを聴いたセーラ・ヴォーンは、「この曲はもう歌えないわ」と言ったのだとか。まだ21歳の彼女ですが、それくらいすごい歌を披露していたんですね。
アトランティックで最初に出したシングルは「I Never Loved A Man(The Way I Love You)」なのですが、これは彼女の夫のテッド・ワイトが持っていた音楽出版会社に所属していたロニー・シャノンという作家が作った曲です。このデモ・テープを基に、ジェリー・ウェクスラーは彼女をマスル・ショールズのフェイム・レコーディング・スタジオに連れて行きます。そこでは少し前から、パーシー・スレッジの「When A Man Loves A Woman」や、ウィルソン・ピケットの一連のヒット曲もレコーディングされていて、アトランティックとしてはすごくやりやすい雰囲気のスタジオで、ミュージシャンたちも間違いなくアリーサと合うはずだとジェリーは思っていました。
そうして始まった「I Never Loved A Man(The Way I Love You)」の録音では、最初はこの曲のグルーヴが今一つ掴めなかったらしいのですが、誰かの提案でアリーサにピアノを弾いてもらったところ、その瞬間にグルーヴがビシッと定まったと言います。そこから一気にレコーディングは進んでいったそうです。実はコロムビア時代にもアリーサは数曲でピアノを弾いています。というのも、彼女は子供の頃からお父さんの教会で、クワイアーの一員として、もしくはソロで歌っていたんですが、1950年代、彼女が14歳のときに、教会で歌った録音がLPとして発売されているんです。もちろん、当時は特に注目されることはなかったでしょう。いまではCDで聴くことができるそのゴスペル・ソングを聴くと、驚くことに彼女の歌がその時点でほぼ完全に出来上がっていることが分かります。しかも、その録音はピアノを弾きながら歌っています。小さい頃から音楽の才能を発揮していた彼女にとって、ピアノの弾き語りは特別なものがあったようですね。
2週間ほど経った頃に、アリーサ側からようやく連絡があり、「録音を再開するのはかまわないけれど、あのスタジオにはもう二度と行かない」と告げられたそうです。ただ、アリーサとしては、マスル・ショールズのミュージシャンたちはとても気に入っているから、「彼らをニュー・ヨークに呼んでほしい」と。かくして、アリーサのレコーディングには、マスル・ショールズとメンフィスのミュージシャンたちが一つのチームになって、セッションのたびに毎回ニュー・ヨークにやってくることになるわけです。もちろん、最初のシングルのB面「Do Right Woman, Do Right Man」も無事に出来上がり、このシングルはR&Bチャートで1位を獲得する大ヒットとなりました。
アリーサはオーティス・レディングの「Respect」をはじめ、いろんなカヴァー曲を録音しています。例えば、今日持ってきた初期のベスト・アルバム『Aretha's Greatest Hits』(1971年)に入っているのもベン・E・キングの「Spanish Harlem」など、ほとんどがカヴァーです。「I Say A Little Prayer」はディオンヌ・ウォーウィックが歌って1967年に大ヒットした曲です。半年後、アリーサがこの曲を歌いたいと言ったとき、ジェリー・ウェクスラーらは、ディオンヌ・ワーウィックでヒットしたばかりだからダメだとたしなめるのですが、アリーサがどうしても歌いたいと言うので、編曲をかなり変えて録音したところ、作曲者のバート・バカラックでさえ、「ディオンヌのもいいけど、アリーサのヴァージョンこそ決定版だ」と認めざるをえなかった。それほど、すごい歌だったんですよ。
「Bridge Over Troubled Water」も、サイモン&ガーファンクルのヴァージョンが決定版と思うじゃないですか。でも、アリーサのを聴くと、あの曲をこういうふうに歌うこともできるのかと思ってしまう。しかも、彼女自身は楽譜が一切読めなかったらしいんですね。でも、どんな曲も一回聴けば覚えてしまったそうです。そして、オーティスもそうだったらしいのですが、編曲の才能にも恵まれていたようで、「こういうふうにやって」と、口頭で説明して指示することができたらしいです。だから、プロデューサーとしてジェリー・ウェクスラーが、エンジニアとしてトム・ダウドなどがクレジットされていますけど、実際にはアリーサ自身もそうとうプロデューサー的に関わっていたようですね。選曲もそうだし、自分の頭の中で、この曲はこういうふうにアレインジしたいということも全部分かっている。本当にすごい存在です。
ソウル・ミュージック初のコンセプト・アルバム
1967年から71年頃までは、チャック・レイニーやドニー・ハサウェイら一流のスタジオ・ミュージシャンたちと、ほとんど同じチームでやっていましたが、アリーサが今度は違うプロデューサーを立ててやってみたいと言い出して、クインシー・ジョーンズが担当することになりました。先ほどお話しした「Angel」が入っている『Hey Now Hey(The Other Side of the Sky)』(1973年)というアルバムがそうなんですが、ロサンジェレスを拠点としているクインシーはすでに映画やテレビの音楽制作など、いくつもの企画を同時に抱えている状態で、彼女のアルバムに専念することができなかったから、セッションはすごく長引いたようです。そのようにしてやっと出来上がったアルバムは、クインシーらしいジャズでもなく、リズム&ブルーズにもなっていない、どっちつかずの印象で、しかも、シングルにしてヒットしそうな曲もなく、ジャケットのアート・ワークもインパクトが弱かったり……。結局、シングルの「Angel」だけはヒットしたけれど、アルバムはさほど売れませんでした。アトランティックで築いたアリーサの勢いが、このあたりで一旦止まってしまうんですね。一度でもそうなると、それを取り戻すのはすごく難しくて、その後に出した何枚かのアルバムも、ときどきシングルがヒットしたりするけれど、ちょっともう難しいのかなと思うくらい、下火になってしまうんですね。
アリーサのそれまでのアルバムはどんなに素晴らしくても、プロデュースしたジェリー・ウェクスラーも認めるように、アルバムとして作っていたわけではありません。カヴァーをしたり、曲を提供してもらったりして、曲がたまったらアルバムにして出すという感じで、あの時代のソウル・ミュージックは、だいたいそういうものだったんです。つまり、60年代のソウルはアルバムとして聴く必要はないんです。シャッフルしてもいいし、ベスト盤で聴いても全然問題はありません。そんな中、アイザック・ヘイズが1969年に『Hot Buttered Soul 』というアルバムを作ります。LPの中に4曲しか入っていなくてどれも長い曲ですが、これがソウルの世界で初めてのコンセプト・アルバムと言われています。1971年にはマーヴィン・ゲイが『What's Going On』を出しました。これも完全なコンセプト・アルバムですが、それに先がけて発表されたのがこの『Hot Buttered Soul 』なんです。カーティスはカーティスで、70年代に入ると『Superfly』(1972年)や、グラディス・ナイト&ザ・ピップス名義の『Claudine』(1974年)、ステイプル・シンガーズが歌った『Let's Do It Again』(1975年)などのサウンドトラックを手がけます。サウンドトラックもコンセプト・アルバムに近いものかもしれません。その意味で、『Sparkle』はアリーサ・フランクリンのキャリアの中で、初めてアルバムとしてまとまったレコードと言えます。アルバムも大ヒットしたし、シングルとして発売された「Something He Can Feel」や「Hooked On Your Love」もヒットしました。カーティスの手腕もさることながら、本気で歌っているアリーサの歌が素晴らしい。すべての力が結晶した傑作だったんです。アルバムが振るわない時期に久々のヒットが出たからみんな喜んだわけですが、かつての勢いを取り戻すことはできませんでした。
クライヴ・デイヴィスは、ジェリー・ウェクスラーのように音楽そのものをしっかりと理解している人というよりも、ビジネス戦略に長けた人でした。業界内の人脈もすごかったようで、そういうものを活用しながら、どうすればヒット曲が生まれるかという戦略を立てる力を持った人だったんですね。アリーサに関しても、どういうプロデューサーと組み合わせればヒット曲が生まれるかを考えながら、ルーサー・ヴァンドロスがプロデュースした「Jump To It」、ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースした「Freeway Of Love」などヒット・チャートにちょこちょこと顔を見せるようになり、80年代以降のブラック・ミュージックでもそれなりに健闘するようになるわけです。でも、アトランティック時代のアリーサを聴いている僕のような人間からすれば、いい曲もときどきあるけど、ちょっと物足りないというのが正直なところです。あのゴスペルに深く根ざしたソウルの歌い方は、60年代から70年代前半くらいまでの時代に最も合ったものだと、いまでも感じます。唯一、例外的だったのは、1992に発売されたスパイク・リーの映画『Malcolm X』のサウンドトラックです。ドニー・ハサウェイの「Someday We'll All Be Free」をアリーサが歌っているヴァージョンがあって、これは素晴らしいです。久々にちょっと身震いがするアリーサ・フランクリンの歌を聴いたと思いました。
残念ながら、黄金期を過ぎると、先ほど触れた『Malcolm X』のサウンドトラックのほかにはこれと言える傑作はありません。ただ、例えばスティーヴィ・ワンダーにしても、1976年の『Songs In The Key Of Life』以降に傑作のレコードがあるかと言えばどうでしょう。でも、それまでにあまりにもすごい作品を作ってきたことが重要なのであって、マーヴィン・ゲイだって同じですよね。
個人的には、アリーサのアルバムの中ではアトランティックの最初の1枚『I Never Loved A Man The Way I Love You』がやっぱりすごいと思います。そして、1971年の3月に録音されたフィルモア・ウェストのライヴ・アルバム『Aretha Live At Fillmore West』もいいですね。この頃のアリーサはシングルを出せばR&Bチャートの1位を獲得していましたが、ジェリー・ウェクスラーはもっと多くの人に聴いてもらうために、ロックを中心に聴いているヒッピー世代の白人の若者にアリーサ・フランクリンの存在を知らしめたいと考えました。そこで、彼女をフィルモア・ウェストに出演させることにしたんですね。ただ、それほど大きな会場ではないから、すでに大スターだった彼女のギャラをまかなえないので、アトランティックがその差額を出すことになりますが、大きな赤字は出したくない。そこで思い付いたのがライヴ・アルバムを作ることでした。そうなると、いつものツアー・バンドよりもいいミュージシャンを連れて行ったほうがいいだろうということなります。当時彼女の音楽監督を務めていたキング・カーティスのバンド、キングピンズからギターのコーネル・デュプリー、キーボードのトゥルーマン・トマス、ベイスのジェリー・ジェモット、ドラムズはバーナード・パーディ、パーカッションはパンチョ・モラレス、これに加えてメンフィス・ホーンズも参加し、スペシャル・ゲストとしてビリー・プレストンが呼ばれるという、ほとんどドリーム・チームのような素晴らしいバンドを結成させて3日間の公演を全部録音しました。それを編集したのが『Aretha Live At Fillmore West』というLPで、これだけでも十分に素晴らしいのですが、ずいぶん後になって、3日間のすべてを収録した4枚組のコンプリート盤も出ました。『Don't Fight The Feeling』という限定盤ですが、これはすごいです。まぁ、「そこまではいらないかなぁ」という人には2枚組のデラックス・エディションもあります(笑)。これは『Aretha Live At Fillmore West』にボーナス・トラックが13曲入ったもので、多くの人にとってはこれで十分かもしれません。でも、キング・カーティスのバンドも、日によって素晴らしい演奏を聴かせているので、僕にはそれが全部聴ける4枚組が必要でした。
アリーサの全アルバムの中で、いちばん売れたのは何でしょう。意外に思うかもしれませんが、ゴスペルのライヴ・アルバム『Amazing Grace』(1972年)なんです。ロサンジェレスのワッツにある、アリーサのお父さんの弟子でゴスペル界の超大物になっていたジェイムズ・クリーヴランドの教会でのライヴを録音したものです。ジェリー・ウェクスラーがチャック・レイニーやバーナード・パーディ、コーネル・デュプリーといった面々をリズム・セクションに起用し、大きなクワイアも入って説教もある、完全にゴスペルのアルバムですが、すごくいいアルバムです。その中で、マーヴィン・ゲイの『What's Going On』に収録されている「Wholy Holy」をアリーサがカヴァーしているんですね。ゴスペルとして作ったわけではないけれど、十分にそういう雰囲気を持った曲で、シングルとしても発売されました。このシングルの売り上げが今一つで、レコード会社も最初は心配していたようですが、アルバムが発売されるとあっと言う間にミリオン・セラー。アリーサのアルバムとして、最高の売り上げを記録しました。このライヴ・アルバムも、後に2日間の演奏すべてを収めたコンプリート・ヴァージョン『Amazing Grace: The Complete Recordings』が出ていますが、やっぱりそっちのほうを聴くのがいいと思います。
あとはベストものもいいと思いますが、先ほどお話しした『Sparkle』のほかでは、『Young, Gifted and Black』(1972年)にも、いい曲が詰まっています。
『I Never Loved A Man The Way I Love You(貴方だけを愛して)』ワーナーミュージック WPCR-27601
『Aretha Live At Fillmore West』ワーナーミュージック WPCR-27652
『Young, Gifted And Black』ワーナーミュージック WPCR-27653
『Amazing Grace: The Complete Recordings』
忘れられない、あのシングルの衝撃
ではここで、アトランティックの1枚目『I Never Loved A Man The Way I Love You』からタイトル曲を聴いてみましょう。このアルバムのエレクトリック・ピアノとオルガンはマスル・ショールズのスプーナー・オールダムですが、アクースティック・ピアノを弾いているのはアリーサ自身です。何百回聴いたか分かりませんが(笑)、もう完璧ですね、この曲は。みんなでお祝いにお酒を呑みたくなるのも分かります(笑)。録音は、おそらく「せーの」で、オーヴァー・ダビングもしていないと思います。シングルB面の「Do Right Woman - Do Right Man」はダン・ペンとチップス・モーマンの曲で、ワン・コードふうのオルガンもいい。この2曲と「Respect」のシングルは1967年に立て続けに出たんです。イギリスのシングル盤は写真も何もなくて、白い袋の中に入っていただけだったんですが、この年の夏休みに僕はたまたまイタリアを訪れていて、アドリア海側の小さな町のレコード屋さんで写真入りの袋に入った「Respect」のシングルを見つけて買ってきたのをいまでもよく覚えています。ちなみに、この曲のバック・ヴォーカルはアーマとキャロリンですから、三姉妹が一緒に歌っているわけですね。
『Sparkle』から「Something He Can Feel」も聴いてみましょう。いかにもこの時期のカーティス・メイフィールドという雰囲気が出ていますね。ところで、アリーサを手がけた歴代のプロデューサーの中では、以前から彼女に目を付けて、先ほどお話ししたような事件があったにせよ、マスル・ショールズに連れて行って、ゴスペルに近いノリで、彼女にピアノを弾かせたり、やりたいことが思う存分できる環境を作ったという意味でも、ジェリー・ウェクスラーの存在は大きかったと思います。
そして、ミュージシャンとしてのアリーサ・フランクリンのすごさを一言で言うなら、どんな曲でもそのエッセンスを吸収し、自分のフィルターを通しながら、恐ろしいほどの説得力で聴かせることでしょうか。もちろん、ほかにも素晴らしい歌手はたくさんいますけれど、そんな能力を持っている人はめったにおらず、彼女はその意味でも別格だったと思います。何しろ、「I Never Loved A Man(The Way I Love You)」という1枚のシングルで、ソウル・ミュージックの歴史を変えたわけですから。当時、僕はまだ15歳でしたが、ラジオで初めてこの曲を聴いたときはもう、「うわーっ!」という感じで(笑)。あのレコードから受けた衝撃を、僕は一生忘れることはないですね。