A Taste of Music Event Report 072020 03

Introduction

2020年2月8日、A Taste of Musicと代官山蔦屋書店のコラボレーションによるDJイベント「ピーター・バラカン“A Taste of Music”」が同店3号館イベント・スペースにて開催されました。第3回目となる今回は、代官山蔦屋書店が展開している「ボブ・マーリー生誕75周年記念フェア」の一環として企画されたもので、レゲエの巨星ボブ・マーリーと創設60周年を迎えたアイランド・レコードの魅力をバラカンさんの視点で掘り下げる貴重な一夜となりました。

文・写真◎山本 昇

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素敵な音楽を分かりやすい解説とともに時間の許す限りかけ続けたバラカンさん


オーディオ・システムは“ATOM”グループが提供

 今回は試聴するオーディオ・システムもA Taste of Music(ATOM)協賛各社が提供。輸入商社のNASPECが選んだのは、イギリスの名門ブランド「ROKSAN」(ロクサン)から昨年発売されたニュー・ラインアップ“ブラック・シリーズ”のBLAK Integrated AMP(プリメイン・アンプ)とBLAK CD PLAYER(CDプレイヤー)、XERXES 20 RPM + SARA(アナログ・レコード・プレイヤー)。さらにカートリッジにはイギリスの老舗「GOLDRING」のフラッグシップ・モデルEthosをチョイス。そして、日本が世界に誇るスピーカー・ブランド「FOSTEX」オリジナルのバックロード・ホーン・スピーカーというラインアップに。さらに、電源/ライン・ケーブルは「ACOUSTIC REVIVE」の各種モデルを揃えるなど、“ATOM”グループが総力を上げ、バラカンさんお薦めの音楽を“いい音”で味わうためシステムを構築。事前のリハーサルを含め、入念な準備を行って当日を迎えた。

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イベントの冒頭で挨拶する代官山蔦屋書店の鈴木智彦さん

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フォステクスカンパニーの仲前 学さん

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ナスペックの庵 吾朗さん

アイランド・レコードの黎明期

 代官山蔦屋書店の鈴木智彦さんによる挨拶、そして、オーディオを提供してくれた各社の担当者から機材についての楽しい説明があり、会場の雰囲気も和んだところでいよいよ本番へ。1曲目は、「アイランド・レーベルの最初のヒット曲です」とバラカンさんが紹介するローレル・エイトケンの「Boogie In My Bones」(1959年)で始まった。

「この曲はまだスカのビートではなく、基本的には1950年代のリズム&ブルーズに近い音ですけど、ちょっとジャマイカふうのゆったりした感じがあります」

 アイランド・レコードとその創設者であり「レゲェが全世界で聴かれるようになったきっかけを作った」というクリス・ブラックウェルについての解説を交えながら、CDとアナログ・レコードをどんどんかけていくバラカンさん。

「1962年にアイランド・レコードから出た曲を聴いてもらいます」と、2曲目でいきなり登場したのはボブ・マーリーの「Judge Not」。「声が全然違うでしょ?」とバラカンさんが言うように、ティーン・エイジャーの頃のボブ・マーリーの意外な歌声に、会場からも驚きの反応があった。

「これはクリスがプロデュースしたものではなく、レズリー・コングという中国系のジャマイカ人である有名なプロデューサーが手掛けたものですが、この曲は売れませんでした。ボブ・マーリーはソロで出したこのレコードのあとに、バニー・ウェイラーとピーター・トッシュの3人でウェイラーズというヴォーカル・グルーブを作ってステューディオ・ワンというレーベルからレコードをたくさん出していきます」

 イギリスにあってジャマイカのレコードをカリブの移民向けにリリースしていたアイランド・レコード。続いて紹介されたのは同レーベル初期の代表曲一つでもあるミリー・スモールの「My Boy Lollipop」(1964年)。

「ミリー・スモールはクリスが可能性を見出した10代の女の子です。〈My Boy Lollipop〉は、元は1950年代にアメリカの若い女性歌手バービー・ゲイが歌った曲で、それをスカでアレインジしたものです。編曲者は有名なギタリストのアーネスト・ラングリンです。1964年、僕が中学生の頃にイギリスで知らない人はいないくらい大ヒットしました。多くのイギリス人にとって、ジャマイカのリズムと出会ったきっかけとなりました」

 スカやロック・ステディに影響を与えたとも言われる「My Boy Lollipop」の独特なノリを堪能したところで、バラカンさんが紹介したのは、アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと映画業界との意外な接点だった。

「小説『007』を書いたイアン・フレミングは当時、ジャマイカ在住の作家でした。最初に作られた映画は『007 ドクター・ノオ』(1962年)で、原作の舞台はジャマイカだったんですね。その映画の制作にはクリス・ブラックウェルがスタッフとして働いていました。まだ、アイランド・レコードが軌道に乗る前のことで、映画のプロデューサーからはそのまま制作会社に入らないかと誘われ、悩んだそうです。音楽も映画も面白くて、どっちにするか悩んだ末に、いわゆる霊感の強い人に相談したところ〈あなたは音楽を選んだほうが成功する〉と言われて決めたそうです(笑)。では、デズモンド・デッカーの“オー・オー・セヴン”〈007(Shanty Town)〉(1967年)を聴いてみましょう」

 イギリスのチャートでも人気を博したというこの曲を、当時のバラカンさんは敬遠していたという。
「このあたりの音楽を好んで聴いていたのは主にスキンヘッドたちでした。80年代のネオ・ナチとは違うのですが、コワい存在ではありました。その頃の僕は髪も長かったし、ちょっとヒッピーふうだったので、連中からは目の敵にされていたんですね(笑)。しかも彼らは集団で動くから威力が増すんです。この曲はラジオでもよくかかっていたけど、そんなことで僕らはなんとなく敬遠していました。その後、ボブ・マーリーを聴くまで、ジャマイカのリズムに対してちょっとした苦手意識がありましたが、それもひとえにスキンヘッドのせいです」

 そんなバラカンさんが好んで聴いたレゲエ・アルバムが映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』のサウンドトラックだったそう。やはりアイランド・レコードからリリースされたこのアルバムは「いまだに僕にとってはサウンドトラックとして最も好きなレコードです」。そのアナログ・レコードからトゥーツ&ザ・メイタルズの「Pressure Drop」を聴いた。

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初期アイランドの看板アーティスト、ボブ・マーリー

「さぁ、そろそろボブ・マーリーに登場してもらわないとね」と、このレゲエ界のレジェンドについては次のような解説をしてくれた。

「ご存知の方も多いと思いますが、ボブ・マーリーは白人と黒人のハーフです。お父さんはイギリス人の軍人、お母さんはジャマイカの黒人でした。結婚はしておらず、ボブ・マーリーが生まれてから、父親は二人とは数回しか会っていないそうです。彼が育ったのはジャマイカの山の中にあるナイン・マイルという田舎村でした。幼いボブ・マーリーは村の子供たちから、その肌の色から〈レッド〉と呼ばれ、いじめられていたらしいですね。ちょっと寂しい子供時代を過ごしたボブ・マーリーは後に、〈俺は黒人の側にも白人の側にも付かない。神の側に付く〉というようなことを言っています。

 1960年代の半ば、彼が20歳くらいになると、いい就職口を求めてアメリカに渡ったお母さんを訪ねます。時を同じくして、エチオピアの最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪問。その後、ボブ・マーリーが戻ったジャマイカではラスタファリ運動が強くなります。ジャマイカ社会の中で、ラスタは表舞台に出てくるものではありませんでしたが、少しずつ人の理解を得るようになります。ボブ・マーリーも友達を通じてラスタに親しんでいくことで、初めて自分のアイデンティティを確立することができたと言います。

 そんなボブ・マーリーはウェイラーズとして、ジャマイカの音楽プロデューサー、コクソン・ドッドとレコードを作りました。でも、映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』を観た人なら分かるとおり、ジャマイカのミュージシャンはどんなに頑張ってもほとんどお金がもらえません。ウェイラーズも例に漏れずそういう状態だったので、コクソン・ドッドの下を離れて、自分たちのレーベルでレコーディングするようになります。その後、1970年頃にリー・ペリーという当時はまだ駆け出しのプロデューサーと組んでレコードを出すのですが、レゲェに詳しい人からはウェイラーズの作品というと、リー・ペリーが手掛けたものがいちばんいいと言われることも多いですね。でも、アイランド・レーベルではないので、今日はかけません(笑)。もちろん、それらも素晴らしいのですが、アイランドにも優れたレコードがたくさんあります」

 ボブ・マーリーとクリス・ブラックウェルの出会いは、ウェイラーズがジョニー・ナッシュのヨーロッパ・ツアーに参加した際のこと。

「いろんな問題が生じてお金がなくなり、ウェイラーズはロンドンに流れてアイランド・レコードの事務所に顔を出します。そこで初めてボブ・マーリーとクリス・ブラックウェルが対面します。ボブ・マーリーにカリスマ性を感じたというクリスは、〈ジャマイカに戻って、これでレコードを1枚作りなさい〉と、彼らに4,000ポンドを渡します。そこで制作されたのが後に『Catch A Fire』と呼ばれるレコードでした。まずは彼らがジャマイカで作った音「Concrete Jungle」のJamaican Versionを聴いてみましょう。47年くらい前のものですが、これはこれでいま聴いても素晴らしいですね」

 しかし、ボブ・マーリーを黒人のロック・スターに育てようと思っていたというクリス・ブラックウェルにとって、その音はいささか素朴に過ぎるということで、ボブ・マーリーの承諾を得た上で、イギリスでギターやキーボードをさらにダビングしたり、リミックスしたのがメジャー第一弾となるアルバム『Catch A Fire』(1973年)だ。

「この経緯について、クリス・ブラックウェルがウェイラーズの音楽を台無しにしたと言うレゲェ・マニアもいますが、決してそういうことではなく、ボブ・マーリーも納得していたということです。「Concrete Jungle」も、後のほうがピンときますよね。当時22歳の僕も、ロンドンのレコード店で働いていたとき、ジャマイカ系の店員がこれをターンテーブルに乗せて聴かせてくれたんですが、もうぶっ飛びました。それまでジャマイカの音楽というと、先ほどのデズモンド・デッカーのような軽快なリズムに慣れていたので、こんなにテンポが遅く、“これでもか”というくらいに重いベースには本当に驚きました。一発で好きになったサウンドです」

 ウェイラーズが続くアルバム『Burnin'』(1973年)を出したありから、音楽の方向性の違いなどからメンバーのバニー・ウェイラーとピーター・トッシュが脱退した際のエピソードを挿み、新たなメンバーを迎えてボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして活動を始めた頃に話は進む。

「『Burnin'』も名曲だらけのアルバムですが、イギリスではまだそれほど売れてはいませんでした。僕は1974年の7月1日に日本に来ました。ロンドンを発つ直前の6月29日に、エリック・クラプトンが久々にシングルを発売しました。『461 Ocean Boulevard』に先がけて出たのが『Burnin'』に収録されている「I Shot the Sheriff」でした。クラプトンによるこのカヴァーが大ヒットしたことで、当初はソングライターとして認知されたボブ・マーリー。その彼がイギリスやアメリカでシンガーとして有名になるのは、もう少しあとのことでした」

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会場には100名余りの音楽ファンが詰め掛けた

人気を決定づけた名盤『Live!』を試聴

 そして、「ボブ・マーリーがブレイクしたのがこのアルバムでした」と取り上げたのが1975年にリリースされた『Live!』だ。

「このアルバムにいく前に、先ほど休憩の間に〈Duppy Conqueror〉をかけたのですが、最初はこのタイトルが何の意味なのか全く分かりませんでした。“Duppy”はジャマイカの方言で“おばけ”のことで、“Conqueror”は“打ち勝つ”という意味。つまり、おばけに勝つということなんです。リー・ペリーがウェイラーズを手掛けているとき、彼らに度胸をつけさせようと、なんと夜中に墓場で演奏をさせたらしいのです。ジャマイカのおばけはかなりコワいそうで(笑)、ここでちゃんと演奏できればステージでも絶対に大丈夫というわけです。また、その次にかけた〈Small Axe〉には“big tree”という歌詞が出てきます。“big tree”とは、コクソン・ドッドやデューク・リードら有力プロデューサーたちが創ったレコードの配給会社で、彼らはここでジャマイカの音楽産業を牛耳っていました。“Small Axe”とは、そんな巨木を倒す小さな斧という意味なのですね」

 さて、いよいよボブ・マーリーのミュージシャンとしての人気を決定づけた『Live!』の試聴に。「演奏もいいし録音もいい。アルバムとしての流れも本当に素晴らしい」と、バラカンさんも太鼓判を押す名盤から「Trenchtown Rock」と「No Woman, No Cry」をアナログ・レコードで聴いた。

「どちらの歌詞にも“Trenchtown”という街の名前が出てきます。当時のキングストンの中でも特に貧しく治安の悪いところで、ラスタが比較的多く住んでいて、ボブ・マーリーも彼らと一緒に暮らしていました。でも、その髪型からラスタと見られると、それだけで警察に連れて行かれたりするような悪名高い街でもあったそうです。何も知らなければ、“Trenchtown”って素敵なところなのかなと思ってしまいますが、実は全然違うんですね」

 バラカンさんはさらに、ボブ・マーリーの歌詞について言及。その普遍性について、次のように語った。

「この素晴らしい歌詞は、ある意味でブルース・スプリングスティーンと共通するところがあるかもしれません。虐げられる人たちの味方という立場を、最初から最後まで貫き通した人でした。特に貧しい国で人気が高いのも頷けます。そうしたところでいまでも、Tシャツが最も売れるのはチェ・ゲバラとボブ・マーリーの二人でしょう」

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クリス・ブラックウェルというレコード・マン

 続いては、ジャマイカの選挙を前にした政党間の闘争に巻き込まれて負傷したボブ・マーリーが、ロンドンでレコーディングした『Exodus』(1977年)。バラカンさんも高く評価しているというこのアルバムからタイトル曲が流れると、ここからは、アイランド・レコードの他のアーティストに注目。リコ・ロドリゲス『Man From Wareika』(1976年)、スティール・パルス『Handsworth Revolution』(1978年)、バーニング・スピア『Marcus Garvey』(1975年)、リントン・クウェシ・ジョンスン『Bass Culture』(1980年)、最後にレゲェを離れてナイジェリアのキング・サニー・アデ『Juju Music』(1982年)といったアルバムをピックアップしながら、レゲエ〜スカ、ダブといったアイランド・レコードの音楽を辿った。

「キング・サニー・アデの『Juju Music』は、ボブ・マーリーとクリス・ブラックウェルが出会ってから10年もしないうちに作られました。もしこれが70年代の半ばに出ていたら、ロックしか知らない若者たちはおそらく見向きもしなかったでしょう。ボブ・マーリーをきっかけにレゲェが70年代を通じていろんな人たちに聴かれるようになっていたので、キング・サニー・アデにもいい反応がありました。当時は来日公演も行われ、代々木体育館のかなり大きな会場がいっぱいになっていました。

インディーズとしてスタートしたアイランド・レコードはやがて、かなり力のあるレーベルに成長しました。80年代にはU2を送り出してさらに大きくなっていきます。ただ、インディーのレコード会社はどこでもそうなのですが、ある程度の大きさになると小回りが利かなくなって中途半端な存在になってしまい、結局は大手に身売りするほかなくなってしまうんですね。とても残念なことですが、客観的に見れば、資本主義の世界とはそういうものなのかもしれません。

 アイランドも1989年、ポリグラムに買収されました。クリス・ブラックウェルも最初は残っていましたが、もともと一匹狼のようなところのある人だから大きな組織は肌に合わなかったようで、数年後には会社を去りました。彼はその後、パーム・ピクチャーズという別の会社を立ち上げて、ちょっと面白いレコードを出していましたが、現在82歳の彼はジャマイカで超高級ホテルの経営者となっています。とにかくこの人がいなければ、僕らはいま、ここでボブ・マーリーのレコードを聴いてはいないでしょう。クリス・ブラックウェルは、そんな面白い活動を続けたレコード・マンでした。アイランド・レコードにはロックやフォークなど、いいレコードが他にもたくさんあるので、またの機会にはそういった作品も特集したいと思います。よろしければ、またお付き合いください。次もいいオーディオで、いい音楽を聴こうと思います。

 そして最後に、機材を提供してくれたNASPEC、FOSTEX、ACOUSTIC REVIVEに感謝します。オーディオのことで何かお聞きになりたい方は、メーカーの方がしばらくいてくれるそうですので、ぜひお尋ねください。今日は長時間、ありがとうございました」

いい音楽をいいオーディオで

 うねるようなベースが特徴のレゲエはバックロード・ホーン型スピーカーとの相性もばっちり。アナログ・レコードの試聴では、MCカードリッジの解像感も素晴らしかった。詰め掛けた約100名のオーディエンスにとっても、印象に残る音楽体験だったのではないだろうか。終演後、ステージではオーディオ機器に近寄ってスマホで写真を撮る人、メーカーの担当者に話を聞く人の姿も見られた。バラカンさんの楽しいトークといい音楽に包まれた今回のイベントについて、参加したオーディエンスに感想を求めると、次のようなコメントが返ってきた。

「レゲエが好きな相方に付いてきた私は、これまでその魅力がよく分からなかったのですが、今日はバラカンさんが歴史を辿ってきれいにまとめてくれて、しかもそれをいい音で聴くことで、すごくいい曲に出会うことができました。いまは“レゲエいい!”って感じが届いて興奮しています。ちょっとというか、かなり好きになりました。別の音楽も楽しみなので、このイベントにはまた来たいと思います。そして、ピーターさんを生で拝見したのも初めてでしたが、めっちゃキュートで益々好きになりました(笑)」(女性)

「席が端のほうだったので、曲によっては真ん中の後方の立ち見席に移動して聴いたりしていましたが、例えばライヴ音源の〈No Woman, No Cry〉の臨場感はすごかったです。もう会場にいるような感じで、ヤバイと思いました(笑)。スピーカーはフルレンジのユニットにバックロード・ホーンということで、どの帯域もきれいに出ていましたね。もちろん、低音もすごくよく響いていました。この空間もちょうどいいサイズで。何だか全部よかったです(笑)」(男性)

 いい音楽をいい音で聴くことの面白さを伝えてきたA Taste of Music。その地道な活動の趣旨は、少しずつ浸透しているようだ。

 なお、代官山蔦屋書店では3号館2階の「A Taste of Music」売り場コーナーを4月よりさらに拡大予定。同店で開催された過去3階のイベントで紹介したアルバムやバラカンさんの著作本など、ラインアップをより充実させるとのことなので、ぜひ立ち寄りください。

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見事な低音を聴かせたFOSTEXのバックロード・ホーン・スピーカー。フルレンジ・ユニットFE208NSとスピーカー・ボックスBK208NSは共に今春頃発売予定の新商品。2つのバックロード・ホーン・スピーカーの上部に設置されたのはFOSTEXのホーン・スーパー・ツイーターT900A。高音域の情報が付加されることで音楽がより楽しく聞こえるなど、オーディオ・システムとしての魅力を高めてくれた。

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アナログ・レコード・プレイヤーは、やはりROKSANのニュー・モデルXERXES 20 RPM + SARA

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カートリッジもイギリスのブランドGOLDRINGのフラッグシップ・モデルEthos(MC型)

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アンプとプレイヤーはイギリスの有名ブランドROKSANで統一。プリメイン・アンプとCDプレイヤーは、新しいラインアップ“ブラック・シリーズ”からBLAK Integrated AMP(下段)とBLAK CD PLAYER(中段)。上段に見えるのはROKSANのフォノ・アンプCaspian RPP(下)とXERXES 20 RPMの電源部(上)。

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スピーカー・ケーブルやライン・ケーブル、電源ケーブル、タップなどはACOUSTIC REVIVEの製品で揃えた

◎Play List

①Laurel Aitken “Boogie In My Bones”
②Bob Marley “Judge Not”
③Millie Small “My Girl Lollipop”
④Desmond Dekker “007(Shanty Town)”
⑤Toots & The Maytals “Pressure Drop”
⑥The Wailers “Concrete Jungle(Jamaican Version)”
⑦The Wailers “Concrete Jungle”
⑧The Wailers “Get Up, Stand Up”
⑨The Wailers “Duppy Conqueror”(休憩時)
⑩The Wailers “Small Axe”(休憩時)
⑪The Wailers “Lively Up Yourself”(休憩時)
⑫Bob Marley & The Wailers “Trenchtown Rock”
⑬Bob Marley & The Wailers “No Woman, No Cry”
⑭Bob Marley & The Wailers “Exodus”
⑮Rico Rodriguez “Ramble”
⑯Steel Pulse “Bad Man”
⑰Burning Spear “Marcus Garvey”
⑱Grace Jones “Warm Leatherette”
⑲Linton Kwesi Johnson “Inglan Is A Bitch”
⑳King Sunny Adé “Ja Funmi”
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本日のアナログ・レコード

◎この日の試聴機材

プリメイン・アンプ:ROKSAN BLAK Integrated AMP
CDプレイヤー:ROKSAN BLAK CD PLAYER
アナログ・レコード・プレイヤー:ROKSAN XERXES 20 RPM + SARA(トーンアーム)
フォノ・アンプ:ROKSAN Caspian RPP
カートリッジ:GOLDRING Ethos
バックロード・ホーン・スピーカー:FOSTEX FE208NS(フルレンジ・ユニット)T900A(ホーン・スーパー・ツィーター) BK208NS(スピーカー・ボックス)
AVラック:NorStone ESSE HIFI
*ケーブル類や電源タップはACOUSTIC REVIVEの各種モデルを使用
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スタッフの皆さんと

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