2017年にはタミクレストとしての来日でしたが、今回はウスマンが1ヵ月ほど滞在して、北海道の旭川でアイヌのミュージシャンOKIとレコーディングを行ったりしています。“晴れ豆”では、ゲストのOKIが最初に演奏し、ドキュメンタリー映画『Caravan to the future~サハラと未来をつなぐ遊牧民たち』の上映、この映画の監督で、フランス人のお父さんと日本人のお母さんを持つ女性ジャーナリストのデコート・豊崎アリサさんと僕のトークを挿んでウスマンが演奏、最後にはウスマンとOKIの共演もあり、非常に盛りだくさんなイヴェントでした。
ところで、トゥアレグの人々はどのようにして主な生計を立てているのでしょうか。それが毎年行われている“塩キャラバン”なんですね。ラクダ乗りによる交易で、いくつかあるルートのうち、映画『Caravan to the future』で紹介されているのはニジェールの南部からナイジェリア北部まで3,000km、4ヵ月にわたる過酷な旅です。積んできた穀物を途中で岩塩に交換し、別の場所でそれを売り、そのお金で別のものを買って帰るという、昔から営まれてきた砂漠の貿易ですね。そういうキャラバンを行うのは長く遊牧生活をしていた人たちですが、ウスマンのような若者たちの中には、海外の情報も得られるスマートフォンを買うためにも現金収入のある生活をしたいと、遊牧生活を拒否する人も増えていることもあり、昔からの生活様式が失われようとしているというのです。このドキュメンタリー映画を撮ったデコート・豊崎アリサさんは、キャラバンを支援するためのクラウド・ファウンディングも立ち上げています。今回のイベントは、そうした活動に協力する意味合いも込めて開催されました。
思えばトーキング・ヘッズの『Stop Making Sense』(1984年)の頃から、視覚的な面白さを感じさせるステージが得意でした。今回のライヴでは、トーキング・ヘッズの『Remain In Light』(1980年)からの曲もやっているようですね。お客さんの多くが聴きたいのはそのあたりなのだと思いますが、デイヴィッド・バーンは一時期、トーキング・ヘッズの曲をライヴでやりたがらなかったらしいんです。ハンドが解散した際の複雑な人間関係が原因なのでしょうけれど、いまはそんなわだかまりがなくなったのかもしれません。
僕はトーキング・ヘッズをデビュー・アルバムから聴いています。ラモーンズなどと同じ時期にサイア・レーベルから出てきて、アメリカのパンクが一気に盛り上がってきたなという感じでした。でも、トーキング・ヘッズはよく聴くとパンクとも違う、どこかエクセントリックなところがあって、デイヴィッド・バーンの歌い方や歌詞、曲作りも風変わりな印象を与えていました。そうかと思うと、2作目の『More Songs About Buildings And Food』(1978年)ではいきなりアル・グリーンの「Take Me To The River」をカヴァーしたりもする。そして、2作目からはプロデューサーにブライアン・イーノを迎えたことも興味深かったですね。この時期のイーノは、ベルリンでデイヴィッド・ボウイと共同作業をしたりして、ロクシー・ミュージックにいた頃のイメージとはちょっと違う面白い人物だなと、みんなが感じ始めていたんです。
トーキング・ヘッズの音楽は、やはり歌詞の面白さが特徴的です。例えば3作目の『Fear Of Music』(1979年)の「Life During Wartime」や、後にジミー・スコットがカヴァーした「Heaven」など、頭に引っかかるような言葉が用意されていて、面白いバンドだなとだんだん思い始めたところに、1980年に『Remain In Light』が出ます。これは本当に画期的なアルバムで、聴いた途端に「あ、時代が変わった」と、そんな気がしたものです。白人のバンドなのに、エッジの利いたファンクとアフリカのリズムを持っていて、さらにゴスペルの影響も感じられる。それらはすべてきちんと消化されていて、自分たちの音楽として斬新なサウンドに仕上げていました。それにはもちろん、ブライアン・イーノの手腕もあるのでしょうけどね。
イーノもバーンも、アート全般に興味があり、本をよく読む哲学者的なところがありますね。以前、「How Music Works」というバーンの書いた本を読んだことがありますが、すごく面白かったんです。分析力もあって、理論的な考え方をする人だなと思いました。バーンはまた、世界中の音楽をいつも聴いていて、いまはもう離れていますが、ルアカ・ボップというレコード・レーベルを設立してブラジル音楽のコンピレイションとか、メキシコや中米の新しいロック・バンドの紹介をしたり、ナイジェリアの謎のサイケデリック・ダンス・ミュージックをやる人の音源を掘り起こしたり、まだspotifyもない頃からWebサイトで自分のプレイ・リストを披露したりしています。
話をデイヴィッド・バーンの最新作『American Utopia』に戻しましょう。バーンとロディ・マクドナルドの二人が共同プロデューサーとクレジットされているこのアルバムは、10曲中8曲がブライアン・イーノとバーンの共作曲となっていますが、音作りの面ではロディ・マクドナルドなどもかなり貢献したそうです。今日はその中から、「Every Day Is A Miracle」、“毎日が奇跡だ”という曲を聴いてみましょう。この曲も、何度か聴いているうちに好きになってきました。イントロはスローだし、メロディもあるのかないのか分からないんだけど、コーラスの部分はすごくポップな感じになって、音も厚みが出てラテン風のメロディが顔を出したりします。いつもいろんなことをやるデイヴィッド・バーンらしさが、上手い具合に曲の中で交ざり合っているような気がして、しばらく聴き続けているとだんだん面白くなってくるんです
「Everybody's Coming To My House」はシングルっぽいポップな曲です。ただ、このアルバムがいま、アメリカのラジオでかかるかというと、正直なところ分かりません。恐らく、普通のラジオ局ではなかなか難しく、かかったとしてもNPR(National Public Radio:アメリカの非営利ラジオ局)でしょう。まぁ、だいたいにおいて僕が興味を持つ音楽はみんなそうかもしれませんけれど……。ちなみにInterFMの「Barakan Beat」では、「It's Not Dark Up Here」をかけました。このアルバムは、デイヴィッド・バーンが好きな人ならとりあえず手に取るでしょう。もし、最初はよく分からなかったとしても、何度か聴き続けていると、じわりじわりとくるものがあると思いますよ。
デイヴィッド・バーン『American Utopia』ワーナーミュージック WPCR-18000
1980年を象徴する画期的なアルバム
Talking Heads『Remain In Light』
先ほど、トーキング・ヘッズは歌詞が面白いと言いましたが、デイヴィッド・バーンの歌はズバリ言うことはほとんどありません。どこか変わったイメージを好んで作る人なんです。「何が言いたかったのかな?」という曲も昔から多いんですが、僕はあまり気にしません。メッセージをはっきりと伝えるタイプのミュージシャンではないんです。例えば最後のアルバム『Naked』(1988年)の「(Nothing But) Flowers」は、現代文明が崩れて花だけが残るという皮肉な内容で、そういう分かりやすい曲もないことはないのですが、少ないですね。僕がラジオでもよくかける『Remain In Light』(1980年)の「Once In A Lifetime」もめちゃくちゃ変な曲ですよね。僕は単純にこの曲の雰囲気やサウンドが好きなのですが、歌のメッセージは聴く人がそれぞれに受け取るべきでしょう。
それはさておき、トーキング・ヘッズも『Remain In Light』から1曲、「Born Under Punches (The Heat Goes On)」を聴いてみましょう。実はこの曲の歌詞について、僕は英語圏に生まれた人間でありながら、何を歌っているのか意識して聴いたことがなく(笑)、これまたサウンド全体を聴いている感じなんです。このバーンのしゃべるようなヴォーカル・スタイルは前代未聞で、「Once In A Lifetime」のミュージック・ヴィデオに出てくる、ネジが1本抜けてしまった牧師のような雰囲気そのまま(笑)。でも、こういう独自の世界を持っている人は面白いですからね。ほとんどがワン・コードで成り立っていたり、アフリカのポリ・リズムを採り入れていたりするロックのレコードなんか、あの頃にはなかったはずです。『Remain In Light』は本当に画期的なレコードで、僕にとってはいまだに1980年と言えばこのアルバム。80年代はこの1枚から始まったという感じです。
冒頭でお話ししたように、僕が吉祥寺に住んでいた頃、よく通っていたレコード店の一つが「芽瑠璃堂」でした。あの界隈では品揃えも豊富で評判のお店でしたね。当時、そこの店員だった後藤美孝さんが、1979年にパス・レコードというパンクの専門レーベルを起こします。後藤さんとは、芽瑠璃堂の頃から知り合いで、たまに食事を共にしたりしていました。その後、僕は吉祥寺を離れたため、後藤さんと会う機会も少なくなったんですが、1980年の春だったか、久々に電話をもらったら、「今度、僕の友達がレコードを作るんだけど、その中の1曲に英語の歌詞があるから、ちょっと手伝ってもらえないか」という話だったから、「もちろん、いいよ」と。その“友達”というのが坂本龍一で、英語の歌詞がある曲というのは彼のソロ・アルバム『B-2 Unit』(1980年)の「Thatness And Thereness」のことでした。
当時、YMOは『Solid State Survivor』(1979年)が大ヒットして、日本ではすでにスターになっていましたが、僕は細野晴臣の他のメンバーのことはよく知らなかったんです。細野さんは1970年代半ば頃のアルバムをそれなりに聴いていたし、ティン・パン・アリーなどの活動も知っていました。
さて、この『B-2 Unit』は一部をロンドンのデニス・ボーヴェルのスタジオで録っています。教授と後藤さんと3人で訪れたスタジオはほぼ出来上がっていたようだけど、内装はまだ完成していなかったんじゃないかな。『B-2 Unit』が出たのは1980年の9月ですが、とにかく不思議なレコードでした。かなり前衛的なサウンドで、最初に聴いたときはどうとらえるべきか、ちょっと分からないところもありましたが、いま思えば同じ年に出たトーキング・ヘッズの『Remain In Light』とも、どこか似通った空気が感じられますね。
「Thatness And Thereness」の歌詞にはどうやら心理学用語も交ざっていたりして、いまだによく分からないところもあるけど、当時も無理に理解しようとはしませんでした。その後のやりとりも、一度調整したくらいで済んだと思います。この曲に関して、ちょっと心残りがあるとすれば、レコーディングには立ち会っていないので、英語の発音を指導できなかったことでしょうか(笑)。
坂本龍一『B-2 Unit』
“ニュー・ウェイヴ” −−−時代の空気感が共有されていたあの頃
この『B-2 Unit』や先ほどの『Remain In Light』が出た1980年前後、世界的に巻き起こったムーヴメントの一つがニュー・ウェイヴです。1976年から77年にかけてイギリスで盛り上がったパンク・ロックは、セックス・ピストルズの解散とともに終わってしまったような雰囲気がありました。そのパンクのあとに残ったものが俗にニュー・ウェイヴと呼ばれるもので、両者に大きな共通点は見られないような気がしますが、パンクの方法論はニュー・ウェイヴにも引き継がれたと思います。
ニュー・ウェイヴと聞いて思い浮かぶものというと、プリテンダーズのデビュー・アルバム『Pretenders』(1980年)やスクリッティ・ポリッティのやはりデビュー作『Songs To Remember』(1982年)などがあり、いずれも初期ニュー・ウェイヴの傑作だと思いますが、今日はXTCを選んでみました。ニュー・ウェイヴの時期のXTCということで、持ってきたのは『English Settlement』(1982年)のレコードです。その中から、A面2曲目の「Ball And Chain」を聴きます。“Ball And Chain”とは、ビルなどを解体するときに使う大きな鉄球のことで、再開発の名の下に行われる破壊行為に対するプロテスト・ソングです。この曲の後半は、後期のビートルズみたいになっていきますね。メロトロンのようなキーボードの音も鳴っています。
ギタリストのチャヴォロ・シュミットが7月に来日ツアーを行います。彼のギター演奏は、ジャンゴ・ラインハルトのスタイルで、マヌーシュ・ギターと呼ばれるものです。マヌーシュというのはフランスのジプシーのことで、彼らの音楽スタイルをスウィングとかマヌーシュと言っています。使うギターもジャンゴと同じセルマーのモデルを弾きます。音の抜けがいちばんいいらしいんですね。彼らが演奏するのはスタンダードが多く、ジャンゴもオリジナルのほかは当時の流行り歌を演奏することが多かったんです。いまでもみんな同じスタイルでやっていて、それはそれでいつ聴いても楽しい。今日持ってきたアルバムは2001年の『Miri Familia』です。1曲目のガーシュウィンの「Lady Be Good」を聴いてみましょう。リード・ギター、リズム・ギター、ベイスにヴァイオリンが入るか入らないかという編成もジャンゴのスタイルを踏襲しています。ただ、この曲にはギタリストが5人もいますね(笑)。
音響システムのワイアリングを担当したACOUSTIC REVIVEの石黒謙さんは、「このお店の音響設計は八王子のDJバー“SHeLTeR”の溝口卓也さんが手掛けて、以前A Taste of Music Vol.6で訪問した神宮前“bonobo”の成(せい)浩一さんとACOUSTIC REVIVEでコラボした形です。そもそも、このJBLは成さんのお店の倉庫で眠っていたものなんですよ。これをKBJ KITCHENさんに導入するにあたって、成さんからご相談を受けました。私としてもいい音のお店が増えることは大賛成なので協力させていただきました。うちでは電源周りなどのワイアリングをやらせていただきましたが、全体的に溝口さんと成さんのアイデアがふんだんに盛り込まれています」と説明。八潮さんは、「お陰様で音にもご好評をいただいています。基本的に午後9時30分以降のバー・タイムは大きめの音で、それ以前はファミリー層のお客様も多く会話ができる程度の音量に設定していますが、大音量でなくても音質の良さが感じられると、驚かれる方が多いですね」と手応えを語ります。そんな高音質の理由の一つとして石黒さんは、「スピーカーにはデジタル制御のチャンネル・デバイダーを使って音響特性をフラットに調整して、どこで聴いてもほぼ均等な音か届くように工夫されています。カフェとしては異例の高レベルな音響設備となっていますね」と補足。さらに、「JBLのスピーカーはじゃじゃ馬的なところがありますが、とても上手く調整されています」と評価します。
「KBJ KITCHEN」のDJブース。毎週土曜のラスト3時間(20:30〜23:30)はゲストDJを招いての“SATURDAY NIGHT GROOVER”を開催している
スタッフの皆さんと
A Taste of Musicの取材後は、「KBJ KITCHEN」でバラカンさんの出前DJがスタート!「今日は“80年代ニュー・ウェーヴ”というお題をいただきました。それを少しユルく解釈しつつ、僕が好きな80年代初頭の音楽を中心にお届けします」と、2時間にわたり主に80'sの素敵なレコードで店内に集まった音楽ファンを沸かせた
◎出前DJ“80年代ニュー・ウェイヴ”プレイ・リスト
①Talking Heads “Once In A Lifetime”
②Laurie Anderson “Excellent Birds”
③Rip Rig & Panic “You're My Kind Of Climate”
④Pigbag “Papa's Got A Brand New Pigbag”
⑤Kid Creole And The Coconuts “Annie, I'm Not Your Daddy”
⑥Coati Mundi “Me No Pop I”
⑦Gabi Delgado “History Of A Kiss”
⑧Depeche Mode “Just Can't Get Enough”
⑨Quotations“Havana Moon”
⑩Elvis Costello & The Attractions“I Can't Stand Up For Falling Down”
⑪The Pretenders“Talk Of The Town”
⑫Monsoon “Ever So Lonely”
⑬Scritti Politti “The "Sweetest Girl"”
⑭The Specials “Rat Race”
⑮Rico “Jungle Music”
⑯Grace Jones “Private Life”
⑰Linton Kwesi Johnson “Inglan Is A Bitch”
⑱XTC “Ball And Chain”
⑲XTC “Senses Working Overtime”
⑳Working Week “Venceremos(We Will Win)”
㉑Talking Heads “This Must Be The Place(Naive Melody)”
㉒Tom Tom Club “Wordy Rappinghood”
㉓Afrika Bambaataa & Soulsonic Force “Looking For The Perfect Beat”
㉔Little Benny & The Masters “Who Comes To Boogie”
㉕Yazoo “Only You”
㉖Roxy Music “Avalon”
㉗安東ウメ子 “luta Upopo(M.Rux Remix)”
㉘Japan “Ghosts”