Contents
◎Movie Review
『KÖLN 75』
◎Recommended Albums
Keith Jarrett『The Köln Concert』, Dr. John 『Hollywood Be Thy Name』, Mulatu Astatke 『Ethio Jazz』, Charlie Megira 『Tomorrow's Gone』, Toumani Diabate『Kaira』, Les Rallizes Dénudés 『Jittoku '76』, Earl Hooker 『Calling All Blues』, Grateful Dead 『Recorded Live In Concert』, HARIKUYAMAKU 『Mystic Islands Dub』
◎PB’s Sound Impression
Haruchika Noguchi Memorial Music Room……SIEMENS Eurodyn, GARRARD Model 301, MARANTZ Model 7, MCINTOSH MC275 etc.
構成◎山本 昇

Introduction
優れたオーディオ装置とともに
お薦めの音楽を紹介し続けて
記念の第50回は盟友をゲストに迎えた
スペシャル版!
50回目のA Taste of Musicです。“ATOM”(アトム)という略称で呼んでいるこのWebマガジンは2013年のスタートから常に、いい音で音楽を聴きながら、その魅力を掘り下げるというスタイルを貫いてきました。皆さんのご協力により、試聴する場所は毎回違うけれど、それは贅沢な体験の連続でした。関東以外では新潟や山口、岐阜、愛知にも出張しましたが、毎回毎回、素晴らしいオーディオ装置で僕がお薦めする音楽を聴かせてもらい、感謝しています。これからもこの素敵な旅は続いていきますので、どうぞご期待ください。
さて、今日の試聴は「野口晴哉記念音楽室」で行います。整体の第一人者であり、また音楽やオーディオにも造詣が深かった野口晴哉(はるちか)さんが遺したこの音楽室に、僕は以前にも訪れたことがあり、好きなレコードを聴かせてもらいました。現在は、野口晴哉さんの孫にあたる、全生新舎の野口晋哉(しんや)さんが管理するようになり、様々なイヴェントも開催されるなど、一般にも開かれた場となっています。後ほど、晋哉さんにもお話をうかがいます。
そして、今回は第50回を記念して特別ゲストとして久保田麻琴さんをお呼びしました。アナログ再生に特化した「野口晴哉記念音楽室」で、互いにレコードを持ち寄って聴き、語り合いたいと思います。新しいオススメ映画のご紹介と併せ、今回も最後までお付き合いください。

「野口晴哉記念音楽室」のアナログ・システムに耳を傾け、「贅沢な音やなぁ」と(なぜか関西弁で)しみじみと呟いたバラカンさん
Movie Review
キース・ジャレットによる
世界的名盤の誕生を
史実に基づいて描いた劇映画
『1975年のケルン・コンサート』

©Wolfgang Ennenbach / One Two Films
キース・ジャレットの『The Köln Concert(ケルン・コンサート)』(1975年)は、ピアノ・ソロのライヴ・アルバムとして史上最高の売り上げを記録した世界的な名盤です。4月10日公開の『1975年のケルン・コンサート』は、このあまりにも有名なライヴの顛末を描いた劇映画です。
いまではそこそこ知られているエピソードかもしれませんが、このコンサートを企画したのは当時17歳のドイツの女子大生でした。彼女は高校生のときに、イギリスのサックス奏者、ロニー・スコットのライヴをケルンで企画しています。全くの未経験で、遊び感覚で始めたにもかかわらず、ときに誰それのエージェントだと嘘をついたりしながら成功させ、次々といろんなライヴを企画するんですね。そうした中、ベルリンのジャズ・フェスティヴァルで初めてキース・ジャレットの演奏を生で観て聴いてノックアウトされるのでした。どうしても彼のコンサートを手掛けたくなって、ケルンのオペラハウスに呼ぶことを計画します。しかし、もちろんオペラハウスはずっと先まで予定が入っています。ならば、オペラが終わった後の深夜ならできるじゃないかと思い立つ彼女。「そんな時間にお客が来るのか」という声をはったりでかわし、企画を成立させてしまうんですね。でも、コンサートの当日、キースがECMレコードのマンフレッド・アイヒャーと現れた会場には、彼が指定したベーゼンドルファーのコンサート・グランドがありません。舞台に置かれていたのは、もっと小ぶりの練習用の、しかも状態の良くないピアノだったんです。「冗談じゃない。こんなのでは演奏できない」と断られるわけですが、さて、彼女はどうやってキースをピアノに向かわせるのか---映画はそこまでの話で、演奏が始まる瞬間にほぼ終わります。だから、主な演奏シーンはベルリンのジャズ・フェスで、もちろんこれは俳優が演じていますが、映画の主題は、できるはずのないコンサートをいかに成立させるかというところにあり、それがものすごく面白いんです。僕が字幕を監修したこの映画は映画祭「Peter Barakan's Music Film Festival」でも上映したいと思っています。
今日は昨年末に出た『The Köln Concert』50周年記念盤のLPを持ってきました。では早速、「Köln, January 24, 1975, Part I」を聴いてみましょう。当日にそんなドタバタがあったとは全く思えない、いい音ですね。キース・ジャレットはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズを経て、1966年にサックス奏者のチャールズ・ロイドのカルテットに参加しました。まだ二十歳そこそこの頃です。その後、自身のトリオで演るようになりましたが、1970年にはマイルズ・デイヴィスのバンドに誘われます。いわゆるエレクトリック期の『Live-Evil』(1971年)には、ハービー・ハンコックとチック・コリア、ジョー・ザヴィヌル、そしてキース・ジャレットという4人の鍵盤奏者が参加しています。もっとも、このバンドでキースはオルガンを弾かされていますが、本当はアクースティック・ピアノしか弾きたくない人なんです。ECMのマンフレッド・アイヒャーと出会ったのもこの頃で、『Facing You』(1972年)というソロ・アルバムをこのレーベルから出しています。
ソロやデュオ、トリオやカルテットと様々な形態で演奏したキースですが、グループとしてよく知られるのは80年代以降の“スタンダード・トリオ”と呼ばれる、ジャック・ディジョネット(ドラムズ)、ギャリー・ピーコック(ベイス)との活動です。スタンダードを演っているんだけど、完全に即興。セットリストもなし。キースが弾き始めると、あとの二人がついてくるという感じで。同じ曲でも、演奏は毎回違います。キースのピアノは、この曲のように穏やかに弾いているかと思うと、突然前衛的になったりする。キース本人は、ピアノを弾き始めると、トランス状態になるようで、姿勢が崩れたり、唸り声を上げたりします。2018に脳梗塞を患い、右手でしか弾くことができない状態だそうですが、とにかく伝説のピアニストです。ライヴ盤が大ヒットしたケルン・コンサートも、この人にとってはただ1日の記録でしかないのでしょう。1年後の1976年には日本でのツアーを敢行しているのですが、その模様はLP10枚組のボックス『Sun Bear Concerts』(1978年)に収められています。
『1975年のケルン・コンサート』はキース・ジャレットと言うよりも、コンサートを企画した女の子が主役の作品ですが、とにかく良くできた映画ですので、ぜひお楽しみください。

『The Köln Concert』

映画『1975年のケルン・コンサート』
◎監督:イド・フルーク◎製作:ソル・ボンディ◎エクゼクティブ・プロデューサー:オーレン・ムーヴァーマン◎出演:マラ・エムデ、ジョン・マガロ、マイケル・チャーナス、アレクサンダー・シェアー◎2025年/ドイツ・ポーランド・ベルギー/ドイツ語・英語/116分◎字幕翻訳:石田泰子 字幕監修:ピーター・バラカン◎配給:ザジフィルムズ◎4月10日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー◎公式X:@koln75JP
©Wolfgang Ennenbach / One Two Films







Recommended Albums
久保田麻琴×ピーター・バラカン
最近のお気に入りレコードを語り合う
——こからは久保田麻琴さんとバラカンさんの試聴対談です。今日は「互いに聴かせたい4枚のレコード」をお持ちいただきました。久保田さんも普段からレコードはよく聴いていますか。
久保田 僕の聴き方はね、その時々で気に入ったレコードをターンテーブルに3枚くらい重ねて乗せておくんです。
PB えっ!? 同時に?
久保田 同時に(笑)。昔、レコードを自動的にパタンと落としてかけてくれるプレイヤーがあったじゃないですか。
——オートチェンジャーですね。
久保田 そう。だから、昔の2枚組は、B面は1枚目の裏ではなく2枚目の表面でしたよね。C面は2枚目の裏でD面は1枚目の裏にカットされていました。
PB そんなプレイヤーで聴いてるの?
久保田 いや、本当はそれで聴きたいんだけど、あんまり売ってないから。でも、このプレイヤーの考え方が好きでね。普通のプレイヤーの芯(スピンドル)のギリギリまで、5枚くらい乗せていたりするんです。
PB もうめちゃくちゃだ(笑)。
久保田 なんかずっと同じものを聴くクセがあるんですよ。2ヵ月くらい、その3枚か4枚をひっくり返しながらずっと聴いてる。
PB なるほど。
久保田 一言で“聴く”と言っても、私の場合、仕事場である自宅のスタジオにいるときはマジで聴いている状態。1日に何時間も集中してね。そして、それ以外の時間は、ただ流しているだけ。あえてそういう聴き方をしています。スピーカーはTIMEDOMAINのYoshii9。倍音がすごく綺麗なので気に入っています。これに加えて、サブウーファー代わりにTDKのXa-40という2.1chスピーカーシステムも鳴らしています。ここ20〜30年くらいはサブウーファーがないとダメなんです。そして、生活の中で鳴っている音量は小さめ。ラウンジーな音なんですよね。ピーターは選曲の仕事があるから、ちゃんと聴くために大きめに鳴らしているのかな?
PB いや、僕も普通はそんな大きな音は出さないよ。
久保田 そうか、ラジオの音だね。

裸のラリーズや夕焼け楽団、サンディー&ザ・サンセッツなどで活動した久保田麻琴さん(右)は、プロデューサー/エンジニアとしても数々の優れた作品を生み出している

オーディオの聴き方を変えて再認識した
パーティ・アルバム
Dr. John 『Hollywood Be Thy Name』
久保田 僕は最近、音にクセがあるように感じて昔はダルいなと思っていたレコードをよく聴くようになったんです。今日はそれを持ってきました。音が良くないというのは、クリアじゃなくて、余計な音を取り切れていないからだ思うけど、それを小さい音で聴くのが好きなんです。代表的なのがこのレコード、ドクター・ジョンの『Hollywood Be Thy Name』(1975年)です。知ってるでしょ。
PB ああ、持ってるけど、ほとんど聴いてないなぁ。
久保田 音がグニャグニャなんですよ。ライヴ盤を装っているけど、実はスタジオ録音だったようですね。プロデューサーはボブ・エズリン。アリス・クーパーとかをやっていた人ですね。クレジットは載ってないけど、編成はフルで20人近くが集まっていて、ロニー・バロンも歌っています。顔を出した人ということなのか、写真にはクラプトンやリンゴ・スターの姿もあります。やってる曲は本当にバラバラでパーティ・チューンという感じ。
PB ホントだ。「Yesterday」もやってる(笑)。
久保田 B面冒頭の「Babylon」が面白くてね。フェード・インがめちゃくちゃ長くてなかなか始まらない(笑)。そして、とにかく音が汚いというか滲んでいて、聴くのをあきらめたくなってしまう。このアルバムは選曲もヘンだし、パーティみたいな音楽だから、みんなあまり聴いてないんじゃないかな。
PB 本当にライヴみたいだね。
久保田 そうそう。わざと粗い音にしているのかもね。税金対策か何か分からないけど、お金使ってパーティした感じが伝わってくるよね。リンゴはいいお土産を持ってくるみたいで、写真がいちばんデカい(笑)。
——演奏は素晴らしいですね。
久保田 さすがですよね。この「New Island Soiree」は歌もご機嫌で(笑)。音が悪くてずっと聴かなかったアルバムですが、生活の中で小さく鳴らすと、この音の濁りみたいなのが、かえって贅沢なものに感じられる。どこか、空間が感じられるというか……。私のオーディオの置き方も、カッチリとステレオに正対して聴くというのではなく、部屋に反射させて聴く感じに変わってきました。そうすると、音は良くないんだけど意外と贅沢なアルバムだなというふうに、最近になって印象が変わってきたんです。
PB 僕も最初に聴いたときは、ウーン……という感じだったと思う。
久保田 やっぱりみんな『Gumbo』の印象が強いでしょ。演奏もタイトで、ものすごくいい録音だし。若い頃はみんな衝撃を受けたよね。
PB 『Gumbo』によってニュー・オーリーンズの音楽の入り口が開いた。
久保田 そう、みんなそうなの。私もそうだし、細野(晴臣)さんや大滝詠一さんもみんな好きだった。
PB 興味がない人は全然知らないんだけどね。
久保田 でも、ドクター・ジョンの音楽の中にあるエキスのような何かを感じた人は全員コンバートするんだよね。私もドクター・ジョンを聴くまでは、サンフランシスコの若くてサイケなロックに走っていたんだけど、『Gumbo』である意味救われたんですよ。もっと根源的なもの、別のオシャレさがあることをこのアルバムで学んだんです。そして、次のアルバム『In The Right Place』のシングル「Right Place Wrong Time」は全米でもヒットしたよね。
PB ドクター・ジョン唯一の大ヒット曲ですね。
久保田 あんな曲でヒットするとは思わなかったけど、もうびっくりして「やったー!」と思ったよね(笑)。その後、『Desitively Bonnaroo』(1974年)を挟んで出たのがこの『Hollywood Be Thy Name』。とりあえず買ったけど、そのうちなくなるだろうなというアルバムだった。でも、ないと寂しいもので再度手に入れて、いまの聴き方になってようやく楽しめるようになりました。喫茶店で鳴っているような音の環境のほうが、自分が欲しいものをもらえるというか。いまのそういうモードでは、昔は聴けなかったものに含まれるノイズやヘンな要素がちょっと気持ちよくなってきたんです。


不思議なハーモニーにハマる
エチオピアン・ジャズ
Mulatu Astatke 『Ethio Jazz』
PB 僕の1枚目は、ここ数年でまた話題に上がることが増えたエチオピアのジャズの流れを作った人のレコードです。
久保田 おー、ムラトゥ! いいねぇ。
PB そう、ムラトゥ・アスタトゥケの1974年のアルバムです。このあたりの音楽が再発見されてよく聴かれるようになったのは90年代のことでした。だから、僕もCDでしか持っていなかったのですが、最近になってP-Vineから彼の作品がいくつかアナログ盤で再発されました。今日はその中から『Ethio Jazz』の「Yekermo Sew」を聴きましょう。
久保田 映画で有名になった曲だね。

PB そう。ジム・ジャームッシュ監督の『ブロークン・フラワーズ』というロード・ムービーで使われました。現在82歳ですが、いまだ現役で活動中です。
久保田 2年前に立川のフェス(Festival Fruezinho 2024)で観たけど、良かったよ。この曲も最高、格好いいね。
PB もうCDでは何度も聴いたアルバムだけど、アナログはまだ針を落としてなかったから、ぜひここで聴きたいと思って持ってきました。僕は90年代まで、エチオピアの音楽なんてほとんど知りませんでした。唯一、アステル・アウェケという女性ヴォーカリストを聴いたことがあったくらい。そんな程度だったけど、『Ethiopiques』(エチオピーク)というシリーズが出始めて、こんな音楽があったのかとビックリしました。歌ものが多かったんだけど、中にはインストゥルメンタルのレコードがあって、エレクトリック・ピアノもクールで格好いい感じでハマったんですよ。
ちなみに、映画『ブロークン・フラワーズ』の主人公はビル・マリーですが、昔のガールフレンドを探しに車で出かけるんだけど、となりに住んでいるエチオピア人にもらったムラトゥ・アスタトゥケのCD-Rを道中ずっと聴いているわけ。
久保田 そういう設定だから、何度も出てくる(笑)。
PB それでこの曲が日本でもにわかに話題になりました。メロディが不思議じゃないですか。エチオピアの音楽は基本的に5音階なのですが、地方によって民族も違うので音階も異なるらしいんですね。ムラトゥ・アスタトゥケが作る曲は世にも不思議で、「こんなハーモニーあるの?」って、セロニアス・マンクに負けないくらいの不協和音に聞こえるんだけど、何度か聴いているうちにハマっちゃう。
久保田 クセになるというか、気持ちよくなる。
PB そうそう。ムラトゥ・アスタトゥケはイギリスやアメリカへの留学経験があって、デューク・エリントンに見出されてニュー・ヨークでも活動するなど、エチオピアの音楽なんだけどジャズの影響も見られるという、独自のサウンドを作り出しました。
久保田 デューク・エリントンのマジックも効いてるんだね。
PB そうだと思う。その後、ムラトゥが戻ったエチオピアは、自由に音楽を作れる期間が短くて、60年代の後半からの1975年くらいまでの10年足らずしかなかったんです。普通に音楽することが許されず、そんなエチオピアからアメリカに亡命する人も多くて、ワシントンDCにはエチオピア街ができました。エチオピア料理店にはCDを売っているところもあって僕も買ったことがあるけど、CD自体のクオリティが良くなくて音飛びして聴けませんでした(笑)。まぁ、でも聴いてみれば好きになるサウンドなんですよ。ムラトゥは2025年に過去の有名な曲を再録音した『Mulatu Plays Mulatu』も出ましたが、それもすごく良かったです。

独特のギター・サウンドを聴かせた
シンガー・ソングライター
Charlie Megira 『Tomorrow's Gone』
久保田 イスラエル出身のシンガー・ソングライター、チャーリー・メギラのコンピレーション盤『Tomorrow's Gone』(2019年)ですが、これも音が良くないんですよ。いま、テル・アヴィヴにはいいバンドがいっぱいいるんだけど、彼はそれよりもちょっと上の世代です。本名はガブリエル・“ガビ”・アブドラハムと言うらしく、チャーリー・メギラは芸名です。京都御所のすぐそばにあるレコード店「Meditations」で買ったんですが、この店は本当にいいレコードが並んでいて、物欲が刺激されます。小さな店だけど、いいものばかり置いてるセレクト・ショップだから選びやすいんです。京都の音楽マニアには頼りにされているようですね。そのときは、エチオピアの修道僧でピアニストのエマホイ・ツェゲ・マリアム・ゴブルーの『Souvenirs』という限定盤も金ピカのジャケットに惹かれて買いました。
PB あ、歌ってるやつでしょ。
久保田 そう! もう、キッチンで録ってるような音だよね。
PB 発売するつもりじゃなくて、ただの記録として録音しただけだったとか。
久保田 チャーリー・メギラのこのレコードも、さっき言ったような音に近くて。なんか、カセットで録ったような音なんです。ちゃんとしたマイクじゃないと思うんだけど、意外といいんだよね。
PB このヌメロ(Numero Group)というのもマニアックなレーベルだよね。
久保田 そうだね。チャーリー・メギラはCDでしか持っていなかったけど、京都でこの2枚組レコードを発見してビックリして。では、「Yesterday, Today And Tomorrow」を聴いてみましょうか。
PB 現代の録音とは思えない(笑)。
久保田 本当に50年代のアメリカの田舎で録ったような響きだね。たぶん、アナログ・テープで録ってると思うけど。彼が弾いているのはEKO(エコー)というイタリア製の安いギターです。
PB あー、そのギターは僕が子供の頃にイギリスでもよく見ましたよ。
久保田 値段が手頃でね。私が“裸のラリーズ”をやってる頃、エレキ・ギターを持ってなかったので、御茶ノ水でいちばん安いギターを探して買ったのがEKOでした。当時の印象は、音が伸びなくてロックな音がしない。でも、いまこのアルバムを聴いてまた欲しくなりました(笑)。チャーリー・メギラのバンドは半分が女性で、センスや雰囲気を重視しているみたい。録音も、彼が自分で苦心して機材を集めてやってるようですね。でも、地元テル・アヴィヴでの活動はうまくいかず、2016年にベルリンで自ら命を絶ちました。残念です。ムード・ソウルみたいな感じだけど、それは趣味でやっていたことなのでしょう。ちょっとルックスが濱口祐自に似ててね。10年遅ければ、もっと認められたかもしれない。ちょっと早かったね。でも、世界的にはファンが多いんですよ。なんか不思議な魅力があって、好きな人はすごく好き。
PB このギターの音はずいぶん時代を遡ったものに聞こえますね。あの当時も格好いいとは思わなかった音だけど、いま聴くと妙な魅力が生まれています。不思議な現象だけど。
久保田 ギターとスプリング・リヴァーブがセットになって初めて成り立つサウンドだね。いまどきのデジタル・リヴァーブでこの味は出ない。


生涯の大愛聴盤をアナログで聴きたい!
Toumani Diabate 『Kaira』
PB 次は、このA Taste of Musicでも何度か取り上げている、僕にとって生涯の大愛聴盤、トゥマニ・ジャバテの『Kaira』(1988年)です。
久保田 どこの人だっけ?
PB 西アフリカのマリの人で、このアルバムの録音はロンドンです。僕はCDでしか持っていなかったんだけど、昨年、ようやくLPで再発されました。
久保田 どこの盤?
PB クリサリス(Chrysalis Records)から出たイギリス盤です。この音楽室のアナログ・システムで、大好きなA面2曲目の「Jarabi」を聴きたいと思います。この作品は全編コラの独奏で、オーヴァーダビングはなし。1回だけの演奏なんだけど、すごいんだこれがまた。彼は2024年に亡くなったけど、このアルバムを作ったのは22歳くらいでした。
久保田 日本にも来たのかな。
PB 1回だけ来ました。アルバムが出たちょっと後に世田谷美術館でコンサートがあったんだけど、最高だった。
久保田 これを一人でやっているのはすごい。どう弾いてるんだろうね。
PB ライヴを観ても分からなかった(笑)。

久保田 ジェイムズ・ブッカーのピアノみたいだね。
PB ハハハハ。
久保田 コラは西アフリカの楽器だよね。
PB うん。マンデ民族の楽器で、マリのほかギニアやセネガル、ガンビアなどでも演奏されています。トゥマニ・ジャバテのお父さんもコラの名手だったんだけど、ガンビアの生まれだったと思います。
久保田 トゥマニ・ジャバテと言えば、音楽評論家の高橋健太郎さんとキーボーディストの今井裕さんがアルバムを作ったよね。
PB 『Kaira』の少しあとに出た『Shake The Whole World』(1992年)だね。それにしても『Kaira』は何度聴いてもいいね。アナログ盤が手に入って良かった。僕はCDで持ってるものをレコードで買うことはあまりないんだけど、これだけは欲しかったんです。
久保田 レコードの音はどうだった?
PB やっぱり違うね。
久保田 すぐそこで弾いてるみたいだったね。
PB 本当に。すごくいい音だったな。特別な贅沢感がありました。このレコードは録音もいいんですよ。
久保田 再現性がいいね。どこのスタジオで録ったのかな。
PB ロンドンだけど、それほど有名なスタジオではないんだね。この作品、最初はジョー・ボイドのハニバル(Hannibal Records)から出たんです。プロデューサーはルーシー・ドゥランという人で、僕の母校のロンドン大学でアフリカの音楽や文化について教えているんですが、コラに惚れ込んで、アフリカに出入りしていたらトゥマニ・ジャバテと出会い、彼がツアーでヨーロッパを回ったときに、1日だけ空いた日にスタジオに呼んで、半日で全部録り切ったそうです。
久保田 いい作品は案外そういうものなんだよね。
PB そうそう。昔のジャズのレコードなんかみんなそうだからね。
久保田 モータウンだって一晩で録音してたわけだし(笑)。

伝説のバンド
“裸のラリーズ”の拾得ライヴ
Les Rallizes Dénudés 『Jittoku '76』
久保田 今日はこのLPも持ってきました。裸のラリーズが1976年に京都・拾得で行ったライヴです。
——久保田さんがエンジニアリングを担当した『拾得 Jittoku ‘76』(2025年)ですね。
PB このライヴは麻琴さんがメンバーだった時期のもの?
久保田 いや、私は1973年には脱退してるから、そのあとのライヴです。73年頃というと夕焼け楽団とラリーズを並行してやっていた時期でね。で、これは京都のライヴハウス「拾得」なんですが、この音楽室と同じように部屋の鳴りがいいんですよ。70年代中期のメンバー(水谷孝〈Vo/G〉、中村武志〈G〉、楢崎裕史〈Ba〉、三巻敏朗〈Dr〉)はとても人気があって。そんな4人のすごくいいぶつかり合いが捉えられています。この音源は当時のローディがMARANTZのラジカセの内蔵マイクで録音したものなんですが、一応ステレオで、わりと上手に録れていました。ラリーズのこのシリーズはほかにもあって、中にはデッドみたいにテーパーが残したカセットを基にしたものもあります。同じライヴを録った3〜4本の音源をProToolsに並べてタイミングを合わせて編集するんだけど、テーパーが録った場所は違うじゃないですか。それぞれに空気が入っちゃってる。さっき話したいまの聴き方は、ラリーズのこの仕事をやってるうちにそうなったのかもしれません。
——裸のラリーズはいま、海外でも人気なんですよね。
久保田 WFMUというニュー・ヨークのラジオ「Jessica's show」のインタヴューを2回ほど受けました。海外のラリーズのリスナーは20〜30代が多いらしいです。
PB 彼らはどうやって発見するの?
久保田 元々はブートが出回って知られるようになったとか。だから、こうしてオフィシャルな作品がリリースされたことはとても喜ばれているようですね。よく聴かれているのはエリアで言うと、いちばんはニューヨーク。次いでロンドン、LA。(1曲目の「夢は今日も」を聴きながら)こういうのを作っているからかもしれないけど、マリアムのキッチン録音のようなものに耳が向かう。いまはそういうモードなんですよ。いい音のアルバムも素晴らしいと思うけど、情報量が多すぎて脳が疲れるというか、押しつけがましいというか。マイク1本で録っていた頃のような、オーガニックな録り方や聴き方もいいのかなと。
PB この拾得ライヴの音も引き込まれます。
久保田 確かに、ちょっとマジックがあるかもね。ここまで音を磨き上げるまでには80時間以上かかっていたりしますけど。
——ラジカセとは言え、これもワン・ポイント録音の良さでしょうか。
久保田 ドラムだけで10本とか、マイクをたくさん立てるのは位相がグチャグチャになってしまうから良くないんです。グリン・ジョンズは4本で録っていたわけで。
PB うん、僕もいまそれを思い出してた。
久保田 やっぱりあれには勝てないですよ。マイクを置く場所をどう決めるかがまず大事だし、そもそもマイクがいいものでなければならない。ギターと同じように、マイクも1960年前後に造られたヴィンテージはやはり音がいい。音楽も機材も、60年代に極まっていたのかな。細野さんは50年代がいいって言うんだけど(笑)。それってLPが出始め、まだSPの時代でしょ。
PB それは分からなくもなくて、初期のロックンロールのレコードはやっぱりすごいよ。チャック・ベリーにしてもエディ・コクランにしてもファッツ・ドミノにしても。
久保田 そう。そのどれもがマイクの数は少ない。その代わり、部屋の鳴りがいい。ケーブルもAcoustic Reviveの製品みたいに太くて。そこに命をかけていたんだよね。シンプルなマイキングで空気を捉えることを大事にしていた。それにしても、我々が20代の頃にやっていた音楽を、50年経っていまの若い人がブルックリンとかで聴いてるというのはなかなか面白いよね。


スライドを織り交ぜた
奏法もユニークなブルーズ・ギタリスト
Earl Hooker 『Calling All Blues』
PB 次はアール・フッカーの『Calling All Blues』。45回転の10インチ盤です。
久保田 大好きなギタリストです。ブルースだけど、余裕があってちょっとおちょくってる感じの人だよね。
PB そうそう! この人はサウンドも弾き方も独特なんですよ。ではA面1曲目の「Blues In D Natural」をかけます。
久保田 ワオ! いい音だなー。本日のチャンピオンだね。これはヤバイ。ライヴ観たかったなぁ。
PB ロンドンで観たよ。
久保田 いいねぇ。最高だった?
PB いやぁ、良かったよ。
久保田 録音もいいなぁ。いい音!
PB スライドを織り交ぜて弾いているようで、微妙にスティール・ギターっぽく聞こえるとこがあるのも面白いんだよね。
久保田 スライドとチョーキングを両方やってる。
PB そうだね。このアルバムは1960年から63年に発表された6曲を収録したものですが、僕は1969年にロンドンで行われたブルーズ・フェスで、このアール・フッカーとマジック・サムの両方を観ました。でも残念ながら、二人ともその翌年に若くして亡くなりました。
久保田 アール・フッカーと言えば、私はロバート・クラムがジャケットに漫画を描いた『There's A Fungus Among Us』(1972年)が好きです。いいプレイヤーであり、いい音ですよね。どブルースはそんなにしょっちゅうは聴かないけど、アール・フッカーのレコードは手放せない。
PB シカゴ・ブルーズの中でも超有名なわけではなくて、たぶん普通にクラブでやっていた人だと思う。
久保田 だけどユニークなんだよね。ルックスも音色も、なんかチャーミングな人なんだ。
PB そうそう。あの時代、自分独自の音を持っていた人はいっぱいいたんですよね。そんなに有名じゃなくても、音を聴けば「あ、あの人だ」とすぐに分かる。これもCDでは持っていたけど、こんな可愛い10インチ盤がP-Vineから出たので、いいなぁと思って手に入れました。


テーパー以前?
グレイトフル・デッドの高音質なブートレグ
Grateful Dead 『Recorded Live In Concert』
久保田 最後はグレイトフル・デッドのブートです。
PB A面の頭は「Sugar Magnolia」だね。ブートレグにしては音が悪くないかも。デッドのライヴはPAエンジニアも優れた人が多かったから。
久保田 観客の声も入っているけど、バランスがいい。たぶんミキシング卓からの直録音だと思う。1970年頃はまだ、いわゆるテーパーはいなかったんじゃないかな。
PB この盤はどこで買ったの?

久保田 アメリカを旅していたときだったか、別のどこかで買ったのかは覚えてないんだけど、たぶん1971年だと思う。まだブートが出回る前で、「珍しい!」という感じで買った記憶があるから。
PB この時期はそうでしょう。別にレコードにするつもりでなくてもライヴをどんどん録っていたのかもしれないけど、裏返せば日々のライヴのミキシングがそれだけ良かったってことだよね。(音を聴きながらしみじみと)まぁ、デッドのこの世界にハマる人と、そうでない人に分かれるんだよなぁ。
久保田 うん。この頃、日本にデッド仲間はほとんどいなかった(笑)。それこそ、ラリーズの面々くらいだったと思う。
PB 僕も友達ではそんなにいなかったな。
——お二人とも、グレイトフル・デッドは生でご覧になっているのですよね。
久保田 1971年3月、オークランドで観ました。ブラック・パンサーのファンドレイジングが絡んでいて、そのとき私がいたバークレーでも街にポスターが張り出されていたんです。急いでバスに乗ってオークランドに向かいました。高校の体育館みたいなところで、観客は2,000人くらい。会場に着くと、最初はまだ演説の途中でした。アンジェラ・デイヴィスやストークリー・カーマイケルといった有名人が登壇するステージの前では、黒人たちが盛り上がる中、ヒッピーの白人は後ろのほうで待っている状態。やがて演説が終わると、黒人たちはデッドなんか興味ないからみんな帰ってしまうんです。そして、今度は白人が前に押し寄せる。黒人と白人が入れ替わるわけですね。そのとき、ちょっとした喧嘩になったりもするんです。いきなり殴り出すやつもいて。でも、デッドが出てきて、ジェリー・ガルシアがチューニングしながら「まあまあ、いいじゃないか」って話し出すと、場が平和な感じになってくる。こうしたやり取りが、私にはすごく強い印象として残っています。「なるほど。こういうことだよな」と。夕焼け楽団を始めた頃のアティチュードはその影響もあって。当時のロックのステージって、どこかシリアスな感じだったけど、みんなでフニャッとしていればいいじゃないかという思いがあったかもしれない。
PB 僕が初めて観たのは1972年のロンドン、ウェンブリー・エンパイアープールという会場でした。デッドのライヴは、その日その日で出来映えがバラバラなんですよね。セットリストもなく、その日の気分でやり始めて、神が降りてきたら最高のライヴになるけど、降りてこなかったらダラダラで終わっちゃう。でも、そこは気にしないのがデッドのファン。追っかけている人たちは毎日行くから、例えば同じ会場で4日間あるとすれば「3日目は最高だったね」って(笑)、そんな会話が生まれるバンドです。要は音楽とどう接するか。1日だけしか行かない僕みたいなファンにとっては、「あのときのライヴはちょっと…」っていう場合もあるんですけどね。

沖縄のダブ・エンジニアが地元の古謡を甦らせた一枚
HARIKUYAMAKU 『Mystic Islands Dub』
PB 最後は沖縄のダブ、HARIKUYAMAKU(ハリクヤマク)の『Mystic Islands Dub』(2023年)です。沖縄の古い民謡を地元のダブ・エンジニアが手を加えて作品化したものですが、これがなかなか格好良くて気に入っています。「Machagama(平安名のマチャガマ)」を聴いてください。さっきのエチオピアン・ジャズに続いてるかな?
久保田 似てるね。この歌は60年代に三隅治雄さんの監修により沖縄南嶋で1,000曲を録音したプロジェクトから生まれた日本コロンビアの『沖縄音楽総』の宮古群島民俗芸能篇からのフィールド録音だな。
PB そう。
久保田 HARIKUYAMAKU本人の話では『スケッチ・オブ・ミャーク』がヒントになったそうです。
——久保田さんが原案・監修・出演・整音を手掛けたドキュメンタリー映画ですね。
久保田 宮古の公民館で最初に上映会を開いたとき、彼がたまたま遊びに来ていたらしいんです。それまで彼はコザでバンドをやったりしていたんだけど、ダブも上手で。この映画を観て地元の音楽と合わせてみたいという気持ちになったんだって。そうしてできた彼の『島 DUB』というアルバムに、私がフィールド録音した宮古の音源が使われていたんです。知らなかったんだけど、YouTubeで観たらなかなかよくできていると思って電話してみたんだよ。向こうは怒られるのかと思ったらしいけど(笑)、「いやいや、いい仕事だね」と伝えて。それ以来のお付き合いです。
PB そうだったんだ。宮古の音楽に興味を持ったのは、僕もきっかけは麻琴さんだったと思う。『スケッチ・オブ・ミャーク』はもちろん、麻琴さんがプロデュースしたBLACK WAX、そしてBlue Asiaというやはり麻琴さんのプロジェクトにも宮古の音楽があって、それを聴いて好きになりました。

大切な音楽仲間となった二人の出会い
——ところで、お二人が出会ったのはいつ頃だったのですか。
PB たぶんシンコーミュージックの仲間に教えてもらって知ったんだと思いますが、1975年頃に僕は夕焼け楽団のライヴを何度か観ていて……。
久保田 ピーターが観に来ているのは知っていました。髪もセミロングで、ちょっと目立ってるヤツがいるなと。また、例えばボニー・レイットのライヴとか観に行くと、なんか見覚えのある格好いい青年がいる(笑)。でも、話をするようになったのはYMOのあたり、ピーターがヨロシタミュージックに入ってからだよね。
PB そうか。じゃあ、もうサンディー&ザ・サンセッツをやっていた時期だね。
久保田 そう。その事務所には私らも半ば所属していたので、サンセッツへの海外からのオファーも、ピーターが面倒みてくれた。まだテレックスがカタカタいってた時代だけどね(笑)。ジャパンに呼ばれてイギリス・ツアーをやったのは1981年だった。
PB そのあとにはオーストラリア・ツアーもあったよね。
久保田 あった。INXS(インエクセス)とのツアーに始まり3ヵ月の長い旅。映画『戦場のメリークリスマス』でデイヴィッド・ボウイと知り合ったピーターは、僕らサンセッツのことを紹介してくれたらしくて。彼はもともと、サンセッツの1枚目『Heat Scale』(1982年)をロンドンで買って聴いていたそうなんだけど、ピーターが言ってくれたおかげでますます興味を持ってくれたみたいだった。『戦メリ』の撮影のあと、1983年にボウイが武道館公演で来日したとき、サンセッツがインクスティックでライヴしていたら、教授がボウイと観に来てくれたんだけど、二人に照明が当たって小さなライヴハウスは騒乱状態だった(笑)。確かピーターも一緒にいたと思うけど。
PB 僕はすぐそばのミント・バーで一緒に呑んだかも。
久保田 このときは1週間くらい、ボウイといろんな話ができたんです。面白かったのは、「君はニューモロロジーに詳しいらしいね」と言われたこと。何のことか分からなかったんだけど、どうやらピーターがボウイに「麻琴は姓名判断ができるんだ」って言ったらしいんだよね。
PB アハハハハ。そうだっけ?
久保田 姓名判断がニューモロロジー(数秘術)になっちゃってて、「こいつはすごいんじゃないか」と思われたみたい。そして、私が「イギリスのロックも素晴らしいけど、ケルティックの要素があるチーフタンズもいいよね」って言ったら、「おお、そう思うか」って身を乗り出してきて、「それならチーフタンズが流れる映画『バリー・リンドン』を観なきゃね」と。そういう話をするうちにやたら盛り上がって、彼も自身をさらけ出してくれてた。しまいにはサンセッツを彼のオーストラリア・ツアーの前座に使うと言い出して(笑)。
PB おー!
久保田 すでにINXSの前座で行くことが決まっていたし、オーストラリアではユニオンの関係で外国のバンドが一緒にツアーすることはできなかったので、実現はしませんでしたけど。オーストラリア・ツアーからの凱旋コンサートでは、ピーターにMCをお願いしました。
PB フフフフ。
——お二人はいまでもいい音楽仲間という感じですね。
久保田 はい、日本では大切な友人ですね。

——バラカンさんにとって、久保田さんはどんな存在ですか。
PB いやもう、何度もいい出会いをさせてくれた音楽仲間です。
久保田 こちらこそ。この間、サム・ゲンデルにいい言葉をもらいました。観光で日本を訪れていた彼と、あるギャラリーで小さなコンサートを行ったんです。お客さんは30人くらい。私は小さなミキサーでライヴ・ミックスをしました。これがとてもいいコンサートになり、彼もすごく気に入ってこう言ってくれたんです。「あなたはベスト・キュレーターだね」−−−このキュレーターという言葉に「ああ、なるほどね」と思ったんです。確かに私はプロデューサーではあるし、あるところからあるところに音楽を紹介してきました。キュレーターという言葉は、日本ではアートの分野で使われていて音楽の文脈ではあまり聞かないけど、アメリカでは私みたいな人間がいっぱいいて、そう呼ばれているようなんです。
PB キュレーターは、海外では音楽の世界でも結構使います。
久保田 日本にはまだ、ウナギのようにヌルヌルと彷徨いながら自由に泳ぐ私みたいな人がそんなにいません。ただし、根っこに強い批判精神があるから、あまり人を信用しないところもある。人間のことは愛してるけど、とは言えそのすべてを良しとはできないんです。でも、光るものはいっぱいあるので、それをできる限り人に観てもらいたいんですよ。
PB うん、その姿勢は僕も全く一緒です。
久保田 ピーターも音楽の紹介者として超一流。ピーターから受け取った人はもう何百万といるんじゃないかな。素晴らしいと思います。こういうことを野口先生の部屋で話せたのは何か意味深いですね。
PB 本当だね。
PB’s Sound Impression
「野口晴哉記念音楽室」で聴く
アナログ・レコード
“聴く”と "聞く"の狭間へ

「野口晴哉記念音楽室」を再起動し、興味深いテーマでイヴェントも開催している野口晋哉さんと
——ここからは、「野口晴哉記念音楽室」を管理し、イヴェントなどを企画・運営している全生新舎の野口晋哉さんにお話を伺います。
PB 冒頭にもお話ししたように、僕はこの音楽室に2度ほど来たことがあったのですが、それはもう20年以上前のことで、当時は晋哉さんの従兄弟にあたる晴胤(はるたね)さんに案内していただきました。僕が訪問したときから、変わっているところもあれば変わらないところもあるのでしょうね。
野口 バラカンさんがいらっしゃった頃は、私のおじがここを管理していまして、我々が大先生と呼ぶ野口晴哉が遺したオーディオ機器や家具はすべてそのままに維持していました。おじが亡くなり、10年くらい前から私がここ移り住むことになり、道場を運営しながら音楽室の管理にも携わっています。この音楽室も数年前は荷物の置き場のような状態で、なんとか本来の姿に戻したい、音楽をみんなで聴ける状態にしたいと思い、メンテナンスなどを始めて4年前にやっと音が出るようになりました。そこからさらに、ACOUSTIC REVIVEの製品も導入したりして、ようやく良く鳴り始めてくれたという感じです。
——キース・ジャレットの『The Köln Concert』が鳴った瞬間、久保田さんから「おお、いい音!」と声が上がりました。
久保田 時間をかけて調整してきたのだと思いますが、部屋自体の鳴りもいいですね。こうしてしゃべっていても気持ちがいい。天井や壁も、素材を含めて音の響きに気を遣って造っているのが分かります。私はここで録音したいくらいですよ。
PB 1950年代によくここまで造ったよね。部屋の設計の段階から音響を優先的に考えていたんでしょうか。
野口 設計については、ほかにブレーンがいたと思われますが、大まかなところはやはり晴哉が自分で考えていたようです。先日、彼の書斎から設計図が出てきたのですが、そこには彼の字でメモ書きがされていました。理想の音楽室をどう造るか、全体的な構想を練っていたようですね。
PB レコード棚にあるのはクラシックばかり?
野口 そうですね。奥の方に、サイモン&ガーファンクルなどロック・ポップスも少しあるのですが、本人のものか、あるいは彼の息子たちのものなのかは分かりません。

天井や壁にも音響的な工夫を凝らした「野口晴哉記念音楽室」は広々として落ち着いた雰囲気。居心地の良さは格別
——晋哉さんはなぜ、この場所を再起動しようと思ったのでしょうか。
野口 一般的に晴哉は整体の名人として知られていますが、彼が生涯をとおして本当にやりたかったことはそれだけではありません。彼は道場での仕事のあと、ここに来て浴びるように音楽を聴いていたと言います。通常は仕事が終わってホッと一息の休息をここで過ごしていた、と思いがちですが、彼はオンとオフの切り替えはしていなかったんじゃないかと思うんです。というのも、彼にとって人に触れることと音に触れることって同じことで、そこに境目はなかったのではないか。一体彼は何に触れようとしていたのか、って言うのが僕の関心で、そこを整体で身体に触れるという側面だけで語ってしまうと、何か大事な部分を置き去りにしてしまうんじゃないかと。
PB なるほど。でも、仕事のほうでは晴哉さんに助けてほしい人が引っ切りなしに来たそうですね。音楽を聴く時間もあまりなかったのでは?
野口 朝の9時から夜の12時くらいまで本部の道場で人の身体をみて、12時過ぎに帰ってくると朝の4時か5時頃まで、ここで音楽を聴いたり執筆したりして過ごしたらしいんです。だから、毎日3〜4時間くらいしか寝ていたなかったようです。
PB 超人的な人だったんですね。
野口 普通じゃないですよね。いまは開いていますが、部屋の扉を閉めて一人、ものすごいヴォリュームで聴いていたらしいです。
PB まさに音を浴びていたんですね。その扉の向こう側にあるのがいまの道場ですね。整体の活動はどれくらいの頻度で行っているのですか。
野口 ほぼ毎日やっています。僕以外にも、父や弟、そして晴胤君が使うこともあります。
PB そして、この音楽室ではイヴェントも開催しているんですよね。
野口 はい。現在は月に2回ほど行っています。レコード鑑賞会や映画の上映会も催しています。
PB 映画もですか。
野口 はい。なぜか、この部屋にはスクリーンをかけられる仕掛けがあるんですよ(笑)。映画を観ることも想定していたんでしょうね。
久保田 映画館の息子なので、私にとってはこれが幼い頃から親しんだ環境です。スクリーンの後ろにはこういうスピーカーがあって……。閉館の際、それを遺せなかったことをずっと後悔しています。
野口 ここにあるのも劇場用。ドイツSIEMENSのEurodyn(オイロダイン)というスピーカーです。イヴェントでは、上映する映画の監督を招いて僕と対談させていただいたり、アーティストをお呼びして楽器の生演奏をしていただいたり。あるいはちょっとアカデミックなテーマを設けてディスカッションすることもあります。そして、昨年末にはこの部屋のとなりに「坐坐奔奔」(ざざほんほん)というブック・カフェをオープンしました。そこにもオーディオを持ち込んで試聴したり、ゲストと対談したり……。もはや得体の知れない場になりつつあります(笑)。
久保田 いいですね。「狛江カルチャーセンター」のような。
野口 そうなんです。どんな名称が相応しいのか、まだ名前は見つかっていないんですけども。ただ、僕がここでやっているのは野口晴哉という人物をもう少し多層的に見直して、分解していったときに出てくる周辺的な要素をテーマにお話しすること。決して整体の話はしません。本質を語らない代わりにその周りにあるフックだけを話し合う場所にしています。そうすると、みんなが勝手に本質に近づいてきてくれるんですよ。
PB レコード鑑賞会では、どんな音楽をかけているんですか。
野口 僕自身、ちょっとヘンな音楽が好きでして。現代音楽やフリー・ジャズなど音響的に変わった音楽が好きなレコード・コレクターやレコード・ショップの方に来ていただいて、彼らが選んだ音楽を流しています。セレクターには下井草のレコードショップ「PHYSICAL STORE」を主催するChee Shimizuさんや、以前A Taste of Musicも取材された八王子SHeLTeRの野嶌義男さんなどに担っていただいています。
こうした鑑賞会には“リスニング・プラクティス”と銘打って開催しているものがあります。テーマは「“聴く”と“聞く”の境界線を曖昧にしよう」。つまり、意識して聴くことと、聞こえてくるものの境目に身を置いてみようということです。音にフォーカスするだけじゃなく、耳に自然に入ってくる音にも価値を見出し「耳を行き来」させる。そうすると、聴覚が変わってくるんですよね。
久保田 ああ、さっき私が言ったことと似てますね。私もなんかその部分が意外と大事かなって思っていて。以前は音が悪いと思っていたレコードが実はちょっといいなという、その味わいみたいなことに最近気が付いたところなので、お話はすごく良く分かります。
野口 例えばオーディオ・マニアと呼ばれる方たちは、音にフォーカスすることに専念しがちなのではないかと感じるんです。空間のことは頓着しない耳の在り方を求めていると言いますか。その点、僕らは音楽に浸る空間そのものが大事だと捉えています。
——ここではその空間を、装置の面ではアナログで構築しているのも特徴ですね。晋哉さんが感じるアナログの魅力とは?
野口 やっぱり空間性が変わることですね。デジタルはすごくきれいだし情報も細やかになりますよね。一方、アナログは何と言いますか、モワっとしたものが肌にシュワシュワっとくるような、あの感じはアナログ特有のものでしょう。そして、この状態に持って行けたのはACOUSTIC REVIVE製品の導入が大きいんです。本当に“空間”が変わるんですよ。音の情報量がめちゃくちゃ多くなるがゆえに、空間の情報量も変わってくる。この場所で行われる営みを下支えしてくれています。アコリバのおかげで、思い描いていた感じに近づくことができました。

音楽室に隣接するブック・カフェ「坐坐奔奔」
——コンセプトがより明確になってきたと。
野口 そうなんです。
——久保田さんのプライヴェート・スタジオにも、ACOUSTIC REVIVEのケーブルなどが導入されたそうですね。以前と比べて音はどう変わりましたか。
久保田 いちばん分かりやすい変化は、音の輪郭が良くなったこと。それによって音像がよく見えるようになり、頑張って耳をそばだてなくても自然と音楽との距離が近くなる。おかげでストレスなく仕事を進めることができています。
——そして、久保田さんもかねてから、ライヴ・ミックスという手法で音楽空間の在り方を追求されています。
久保田 音楽は1ビートごとに音の世界が変わっていくわけじゃないですか。エンジニアも、本当はそれについて行かなきゃいけない。余計なお節介かもしれないけど、私はホールもミキシング・コンソールも含めて全部が楽器だと思っているので、すべて使い切るようにしたい。そして、できるだけ音楽とお客さんの距離を近付ける−−−そこは自分の信念として持ち続けています。
—— そのためのツールとして、アナログ・コンソールにこだわっていたのですね。
久保田 そうですね。もちろん、固定したチャンネルはあってもいいけど、例えばヴォーカルやギターなどは箇所によっていろいろ変化させてくるので、それをお客さんに通訳するには複数のフェーダーやツマミを同時に触らなければなりません。それもあって、私はアナログ卓にこだわっていましたが、デジタル卓もいずれアナログ卓のような操作が可能になるでしょう。
——晋哉さんは今後、この音楽室をどう育てていきますか。
野口 やはり、ここの主人は野口晴哉なので、身体性を大事にしていきたいと思ってます。空間が変わることは身体の経験として大事なことなんです。僕は整体をやっていますが、人の身体に触れているような状態にまで変わってくると感じられることもあるんです。トランペットならトランペットの音が自分の身体に触れてくるというか、そういう経験ができるような音を鳴らせられればいいですね。
PB 節目の“ATOM50”も、いい音を体験できて嬉しかったです。晋哉さん、麻琴さん、今日はありがとうございました。

さり気なく掲げられた野口晴哉氏の遺影。優しくも鋭い眼差しで音楽室を見守っている

レコード棚と家具、そしてヴィンテージなオーディオ機器が調和する音楽室の一画

スピーカーは試聴したSIEMENS Eurodynのほか、WESTERN ELECTRIC 594A、JBL HL90、WESTREX T510Aなどもある

訪れる人の耳を魅了する劇場用スピーカーのSIEMENS Eurodyn

レコード・プレイヤーは1954年発売の名機GARRARD Model 301

フォノ・アンプはPHASEMATION EA-200

パワー・アンプは真空管も美しいMCINTOSH MC275

ACOUSTIC REVIVEの超低周波発生装置RR-777

ACOUSTIC REVIVEの電源ボックスRTP- 2Finalと電源タップ用クォーツ・アンダーボードTB-38H

ライン・ケーブルや電源ケーブルはすべてACOUSTIC REVIVEの製品が導入されている

この日、集った皆さんと。右から3人目はACOUSTIC REVIVEの石黒謙さん
◎Today’s Playlist
①Keith Jarrett「Köln, January 24, 1975, Part I」〜『The Köln Concert』
②Dr. John 「New Island Soiree」〜『Hollywood Be Thy Name』
③Mulatu Astatke 「Yekermo Saw」〜『Ethio Jazz』
④Charlie Megira 「Yesterday, Today And Tomorrow」〜『Tomorrow's Gone』
⑤Toumani Diabate 「Jarabi」〜『Kaira』
⑥Les Rallizes Dénudés 「Dream Again Today」〜『Jittoku '76』
⑦Earl Hooker 「Blues In D Natural」〜『Calling All Blues』
⑧Grateful Dead 「Sugar Magnolia」〜『Recorded Live In Concert』
⑨HARIKUYAMAKU 「Machagama」〜『Mystic Islands Dub』
◎この日の試聴システム
スピーカー:SIEMENS Eurodyn
レコード・プレイヤー:GARRARD Model 301
フォノ・アンプ:PHASEMATION EA-200
カートリッジ:EMT TD15
プリ・アンプ:MARANTZ Model 7
パワー・アンプ:MCINTOSH MC275































































